私だけを愛してくれますか?

ある日、仕事を終え、自宅の最寄り駅の改札を抜けた時に、『吉木さん』と声をかけられた。

和菓子屋の若旦那だ。

びっくりしたと同時に怖さがこみ上げる。

まさか、私を待ってた?

『前に話したときに、北山に住んでると言ってたから』

若旦那がニヤッと笑う。

そんなこと話した? 全く覚えがない。

『会えてよかった。百貨店の近くやと人目があるから。さあ、一緒に食事に行こう』

当たり前のように近寄ってきて、手を伸ばしてきた。

私は、大切なお客様だということより恐怖心が勝って、何も言わずに走って逃げた。

『あっ、待って!』

危うく腕を掴まれそうになったが、これでも元陸上部だ。
パンプスを履いていたが、スタートダッシュには自信がある。

とにかく懸命に走って、家まで帰りつくことができた。
自分の部屋に籠り、呆然としながらさっきの若旦那との会話を思い返す。

『北山に住んでると言ってたから…』

今まで若旦那とした会話を必死でたどる。
そんなこと言うはずない。絶対言ってない。
そこでハッと思い出した。

お子さんと休みの日に遊びに行くのに、いつも同じ場所ばかりになるという話を聞いた。その時に、私もいつも近所にある植物園ばかりでしたよ、と〝うちの近所の植物園〟の話をした。

それに違いない。京都で植物園と言えば、ほとんどの人が〝北山にある植物園〟を思い浮かべるはず。
でも、そんな些細な言葉を頼りに、駅で待ち伏せをする若旦那が心底恐ろしかった。

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