私だけを愛してくれますか?
「吉木織物さん?」
不意に声をかけられた。この呼び方は、お客様だ。
兄はスッと仕事仕様の顔になり、声の方に向き直った。
当たり前だけど、仕事の時には普通の社会人に見える。
「ことぶきさん!ご無沙汰しております。今日も素敵なお召し物ですね」
ことぶき?
兄の言葉に反応して、思わず声の主を振り返った。
着崩した浴衣の色は、迷彩色。胸元を大きく広げ、黒いインナーを見せている。
浴衣丈は極端に短く、足元は革の編み上げブーツだ。
頭にバンダナを巻いて帽子をかぶっているが、垣間見える髪の色は銀色だった。
これは、もしや…
戦々恐々で見ていると、兄が紹介を始めた。
「ことぶきさん、妹の美織です。美織、こちらは『ことぶき呉服店』の息子さんや」
やっぱり、阿保ボンか!!
個性ありすぎでしょ。作るものも奇抜だけど、本人もそうだったのか。
絶対に仲よくなれないタイプ。
でも、ここは大人の対応をせねば。
「はじめまして、吉木美織です」
微笑みながら挨拶をしたが、ふとチャンスだと気づいた。
今の私は〝吉木織物の娘〟だ。怒らせても『くらき百貨店』に迷惑はかけない。
『夏・京都』ではよくも、コケにしてくれたな。おのれ、阿保ボン。班の仇を取ってやるっ!!
「お召し物、斬新ですねぇ。でも、奇抜すぎて京都では受けないんじゃないですか?私も好きになれないし」
小首をかしげて、指を顎にあてる。
この前、副社長の偽婚約者の演技に呆れたところだが、〝頭の弱そうなお嬢さん〟を演じてみる。私だってやるときゃやるのだ。
「京都から離れて、もっと都会に行かれたら?オホホ」
心の中では、『とっとと失せろ!』だが、うまく変換できたと思う。
言いたいことを言ってスッキリしたが、兄は、急に私が失礼なことを言い出したので、「美織!」と焦った声を出した。
兄よ、許して。後のことは任せた。
言い逃げして立ち去ろうとしたとき、「さすが吉木織物のお嬢さんですね!」と感嘆の声が上がった。
グッと手を掴まれ、ぶんぶんと振られる。
「そうなんですよ。東京に進出することが決まったんです。京都ではなかなか僕のセンスはわかってもらえなくてね。僕がいるべき場所はここじゃない!」
酔いしれたように語る阿保ボンに、兄も私も呆気にとられるだけだ。
私が太刀打ちできるような相手じゃなかった…
精一杯の嫌味も通じず残念だ。でも、言いたいことはいったので、よしとしよう。
「そ、そうですか。ご活躍をお祈りしております」
手を振りほどいて、そそくさとその場を後にした。