バスストップ
中間テスト
春香がわたしの教科書を見て片眉をあげた。
「これ、誰の字?」
「どれ?」
「この問題の答え書いてるこの字、明の字じゃないでしょ。」
「ああ、これ、レイタが書いた。」
「レイタって誰よ。」と春香は眉を寄せた。
「わたしが舌打ちした男いたじゃん。チーちゃんと行った合コンで斜め後ろに座ってたさぁ。」
春香は考えるように目をぐるぐると動かして、大きく見開いた。
「いつの間にそんなに仲良くなったの?」
「仲良くないよ。朝バスが一緒で、わかんないとこに丸つけてレイタに渡すとなんか、答え書いてくれる。さすが進学校。インテリ。」
「いい人。」
「そう。いい人だったんだよね。」
数日前、中間テストの勉強をするために教科書を片手にバスに乗っていると、間違った回答が教科書に書き込まれているのがたまたま見えて気になったのか、突然レイタがわたしの手から教科書を取り上げて、スラスラと間違いを書き直したのがきっかけだった。
決して毎朝仲良く通学していたわけではない。
雑談するような仲でもない。
たまたまわたしが教科書を持っていて、たまたまその教科書に書き込んである文字がレイタの視界に入っただけの。
それからはバスで会った時に、わからない所を指差してみたり、事前に問題を丸で囲んで「?」マークをつけておいてレイタに見せると、答えを書いてくれるのだ。
その間、ほぼ会話ゼロで成り立っている。
「付き合ってんの?」とその話を聞いて春香が聞く。
「付き合ってないな。」
「こないだの合コンのミツル君は?どーなった??」
「たまに連絡くれる。けど、テスト期間中だしね〜。」
「会おうとかないの?」
「ないね。」
数学の教科書に右上がりに書かれた数字の羅列。
わたしの間違った回答を、レイタが直した問題。
バスの中で書いているから、少し揺れたような筆跡。
無表情でその数字を書いている彼の横顔まで思い出して、なんだか思い出し笑い。
その時(ありがとう)って言ったっけ?と思い出せなかった。

電車組の春香と別れた後の帰り道。
「メイちゃんっ!」とバス停の数メートル手前で呼び止められた。
振り返ると、合コンで連絡先を交換したミツル君がポケットに手を突っ込んだまま歩道の脇に立っている。
「ミツル君。今帰り?」
「メイちゃんのこと待ってた。テスト期間終わった?」
「明日で終わり。」
「そっか、俺らの学校はね、今日で終わったー。開放感やべー。明日のテストって何?」
バス停にたどり着いて、列に並ぶわたしの後ろにミツル君も並んでくる。
「英語と化学と古文」
「俺化学得意だよ〜。わからないとことかあったら教えよっか?」
……わからないとこ。
とレイタの顔が浮かぶ。
「今のとこ大丈夫。」と答えると、「なーんだ、じゃあテスト余裕って感じ?じゃあさ、お茶でもしてから帰らない?!」と軽いノリで言われたけれど…
「でもまだ明日テストだから。ってゆーか。ミツル君もこのバス乗るの?」
「ん?乗らないよー。じゃ、いいや。また連絡するねー。」
と列を抜けて元来た道を戻って行った。
……なんだったの?お茶誘いに来たってこと?
わたしが列に向き直ると、前に並んでいる人が読んでいる本を少し下げて半分顔を覗かせた。
長めの前髪ですこし表情が隠れている。その髪の間からこちらを横目で見ているのがわかった。
「レイタ!」
と思わず名前を呼ぶ。
「いや、なんで呼び捨て、俺年上…」
レイタのその小さな声は本に邪魔されて届かない。
「ちょうど良かったー。」とわたしはカバンから化学の教科書を出すと「ここ。」と指さした。
いつもならスッと受け取ってくれるのに、今回はなぜか渋っている。
「さっきのに教えてもらえば良かったのに。」
と、また本に遮られそうなレイタの声をなんとか拾った。
「え、一回しか会ったことない人だし、レイタでいい。」
「なんか腹立つね、ほんと。」
え、なんで腹立たれたのわたし。
出した手も、空気も止まってしまう。
「じゃあ……いいや。」と教科書を引っ込めてカバンにしまった。
バスが来て、乗り込んで、無言で少し離れたところに立つ。妙な距離。あれ、いつもはどーしてたっけ。
近くに立つだれかのイヤホンから音楽がかすかに漏れている。

気が、合わないってこと、なんだろな。

もうちょっと、上目遣いとか、キャピ感出して、にゃん♡とか言った方が男子高校生には優しくしてもらえるのかな?

まあ、いっか。インテリ兄さんは取り扱いがむずいわ。

パパ今日帰ってくるの遅いのかな〜?
パパ化学得意だから教えてくれるんだけど、何言ってるか全然わかんないんだよね。
でもわかんないまま放置するよりはいいよね。
勉強のお供にアイス買って帰ろうかな〜。

最寄りのバス停が近くなって、わたしはカバンからカードを取り出して、車の揺れに合わせて昇降口へ進んだ。

ハーゲンダッツの期間限定って今なんだっけ。
和風系じゃなかったらいいなぁ。

バスを降りたらコンビニ寄って、夜はパパとの勉強&勉強のお供のハーゲンダッツで過ごす!とおうち時間の時間割を決めることに全力を注いでいる時に、突然カバンを引っ張られて結構大きめの声で「わあ!」と驚いてしまった。

「ごめん、教科書出して、やっぱり。」

とレイタが周りを気にした声量で言う。

「あ、でも、もう降りるし。」
「なんか、後味の悪い拒否の仕方してごめん。」
「なんかアレですよね、多分、いつもわたしの発言で気を悪くさせてますね。」
と小さくため息をつくと、レイタははっと何かに気づいたように、わたしのカバンから手を離した。
「別にもう俺に教えてもらうつもりないって思ってるならそれでいいんだけど。」
「そう言われると、立ち去りにくい言い方をする。」
と口をとがらせて考えた。
立ち去るなら今、バスの扉はもうしま……
閉まったーーーー。

「次のバス停でいつも降りるから、その近くの公園とかで、もし、良ければ…さっき言ってたわからないところ書くよ。」

とレイタに提案してもらって、インテリ兄さんに勉強教えてもらえるならそれはそれでラッキーと気持ちを切り替えた。
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