まるでキバを抜かれたライオンのような

ーー『ただいまー』

『おかえりー』とサクは少し小さな声で言った。
リビングに入ると美優はソファーで寝ていて、サクがキッチンで何やら食材を切っていた。
サクの隣にいきサクの手元を覗き込む。

『何作ってるの?』

『今、豚肉で生姜焼き作ってたから切ってるの』

『おいしそー』

サクは手際良く豚肉を食べやすい大きさに切り、それを包丁の背に乗せて皿に盛り付けていく。
私はサクの手元を見てわざとらしく言った。

『サクって左利きなの?』

驚いたように私の方を向くサク。

『今更!?』

『今包丁使ってるところ見て気がついた!』

『あのさぁ……俺小さい頃からずっと左利きだけど。バスケの時だって左で投げてたし』

『だから練習の時の1on1とかサクとはなんかやりづらかったのか……』

『何年越しに気付いてんのそれ』と言いながらサクは吹き出す。

『冗談だよ。 そういえば左利きだったなぁって思って。 あと今日広報の記事考えてきたからお願いします』

私はバックからプリントを取り出し、それをサクに見せた。

『へぇー、これ全部二年のクラス回って聞いてきたの?』

『そうだよ! 8クラスもあったからめっちゃ疲れた。 気付いたらこんな時間になってるし』

サクはキッチンで手を洗いながら『じゃあ、明日早めに学校に行ってまとめておくよ』と言った。

『お願いします。私も明日早く行こうかな』

私はソファーでイビキをかきながら寝ている美優の方に目をやる。

『ってか今日も美優、爆睡してるなぁ』

『うん、今日も帰り公園寄ってきたから多分疲れたのかも』




ーー『うわぁ…自転車パンクしてるじゃん……』

次の日の朝、家の前で私は一人制服姿で頭を抱えた。
家から学校まで割と距離があって自転車通学だから、その距離を歩いて行くとなると倍の時間がかかってしまう。
普段だったら遅刻確定。

でも今日はいつもより早めに起きて、お弁当を作り美優の準備をして早めに家を出た。
昨日サクが係活動の記事をパソコンでまとめてくれるって言っていたから。
何も手伝えないとは思うけれど来月の為に少しでも覚えておこうと思って。

せっかく早く起きて準備したのに多分学校に着く頃は遅刻ギリギリだ。

今日早めに帰ってきて、近所の自転車屋さんに行こう……


まだ誰も歩いていない静かな通学路を一人早足で歩く。
もっと時間に余裕がある予定だったんだけれど、そんなこと言ってらんない。遅刻する。
後ろから自転車が近づいてくる音がする。そして『中條?』と私の苗字を呼ぶ声が聞こえて私は後ろを振り返った。

『あっ、伊藤くんおはよう!早いね』

『間違えてなくてよかったー』と伊藤くんは自転車のハンドルに肘を乗せて、ホッとした顔をした。

そして伊藤くんは『こんな時間に会うの珍しいね。どうしたの?』と首を傾げた。

『係の記事パソコンに打ち込もうと思って……』

…サクが。

でもサクの名前は敢えて出さなかった。
きっと伊藤くんはあまりいい気はしないだろうし
サクもあまり言って欲しくはないと思うから。

『伊藤くんはどうしたの?』

『バスケの朝練だよ。新人戦も近いからさ』
バスケのシューズが入った袋を私に向けて言った。

『そっか、三年生はもう引退してるんだもんね。二年生中心の新しいチームで新人戦、頑張ってね!』

『中條もこんな早くから広報の仕事してくれてありがとうな』

『ううん、大丈夫。ちゃちゃっと仕上げちゃうから!』

…サクが。

『でも、こっから徒歩で学校って遠くない? 自転車の後ろ乗ってく?』

……救いの神様だ。
朝自転車がパンクしてて絶望的だったけれど
捨てる神あれば拾う神ありとはこのことか。

私は迷わず『乗ってく!』と返事をして伊藤くんの自転車の後ろへと乗った。

『しっかり掴まっててね』と言って
伊藤くんはペダルを漕ぎ始めた。

風がとても気持ち良い。
少し汗ばんだおでこがに風が当たって思わずわたしは目を瞑る。
普段は特に意識していない事でも、失くしてからその大切さに気付くことってある。
一般の私くらいの年頃ではそれは恋人だとかで気付いたりするだろうけど、私はそれが自転車だ。
ロマンチックのカケラもない所が、また私っぽい。

そして、もう一つ。
年頃の女の子らしくないことを言うとするならば
伊藤くんがとっても良い香りがする。
例えて言うなら、石鹸のような。
家の良い匂いと柔軟剤の匂いか何かが混ざったような。

イケメンって香りもイケメンなのか。

伊藤くんはバリバリ体育会系ではあるけれど、汗のイメージは全くなく。それどころか、いつも透き通るような清潔感を感じる。

そして私が今捕まっている脇腹の下辺り。
とても線が細いけれど華奢《きゃしゃ》な感じは全くなく
少し硬く中身が詰まっているような。

……むしろ良い。

語彙力が無くなってしまうけれど、これ以上表現する言葉は私には見つからない。

むしろ良いのだ。状態が良い。でも多分状態は常に良い。

『中條さ、最近明るくなったよな』

『ん? そうかな』

『うん、なんか前までは話しかけてくんなオーラがすごかったからさ』

うん。多分出してたんだと思う。
自分勝手だって思われるかもしれないけど
何も考えずに学生生活を楽しんでるみんなに嫉妬してた。

『最近出すのやめたんだ私。話しかけてくんなオーラ』

『そっか。でもツンとしてる中條も好きだったよ俺は』

『そんな風に言ってくれるの伊藤くんだけだよ。 そのオーラのお陰で私、高校入ってからほとんど友達も出来てないもん』

『ふーん。それならこれから作っていけば良いじゃん。友達。 大切なのはどれだけ長く一緒にいたか。ってわけじゃないし。今からでも全然遅くないよ』

どれだけ長く一緒にいたか……ではないか。

確かにそうなんだけどね。

でも一緒に過ごせば過ごすほど良いところに気付くことができたりもすると思うんだ。

最近すごくそんなことを思う。

なんていうか……

最近は毎日が前よりも少しだけ色鮮やかに感じるんだ。


しばらくすると学校へと着いた。
伊藤くんは自転車でわざわざ玄関の前まできてくれて、そこで私を降ろして『俺体育館の方に行くから。またね』そう言って体育館の入り口の方へと向かって行った。
伊藤くんの姿が見えなくなるまで見送った後に
まだ人のいない玄関で靴を履き替え私は急足で図書室へ向かった。

カタカタカタカタ。

図書室に入ると静かな部屋でキーボードを打つ音が聞こえた。
奥の方にあるパソコンで作業しているサクの姿があった。

『おはよ。サク』

サクはパソコンに目を向けてキーボードを打ちながら『おはよう』と言った。

サクの隣で私もパソコンの画面を眺めると昨日私が箇条書きで書いていた文字をわかりやすく表などで打ち込んでくれていてほとんど出来上がっているように見えた。

『もう出来上がってるじゃん。すごいね』

『去年の広報が使ったデータ残ってたから、それに紗希が書いてくれた内容そのまま打ち込んだだけだよ』

『それでもすごいよ。ってか何時からこれ作ってるの?』
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