町娘は王子様に恋をする
09
私は羽柴先輩のことが、好きだ。
特にはっきりと口にしたことはないし、羽柴先輩の「宇佐見は俺のこと好きだよなー」という軽い冗談に付き合って肯定したことはあるけれど、それ以上は深くその話を掘り下げたこともない。掘り下げられたとして、どう対処するのが上手な処世術なのか分からない。
好きだなあと思うことは何度もあった。容姿がどう、ということも要素のひとつではあるけれど、羽柴先輩が不精でだらしなくてもそれはそれだなあと思う。勉強をみてくれたりさりげなく優しかったり、それも外面の可能性は半分くらい否定できないけど、それでも口でこそカッコつけたいとは言いつつカッコ悪い所もみせている先輩を、私は好きだと思った。
でもそうやって先輩の些細な所を思い出す度にぶんぶんと首を振って、何事かと周囲を驚かせては笑って誤魔化していた。
羽柴先輩が、不定期で付き合う人を替えていることは知っていた。ただ、羽柴先輩が告白したことがないことも。
そう、付き合ってはいたけれど羽柴先輩は告白されたからそれに応えたにすぎなかった。そうして、付き合ってはみたものの何か違う、と一方的に別れを切り出されていた。というのが私がみた先輩の現実。
彼女が居る状態でも、羽柴先輩はたくさんの人と仲良くしていたし、サークルの後輩だからと私を大切にしてくれた。そういうところも、彼女になった人から疎まれたのかもしれないけれど、歴代の彼女さんたちが私にどうこうすることはなかった。その人たちとも特別仲良くするわけではなかったが普通によくしてもらっていたことは覚えているし、言ってしまうとその人たちと私では比べるまでもなかったということで、彼女たちが敵視するまでもなかった、という方が正しいのか。
敵にもなり得ない、どちらかといえば妹ポジションの人間が私だった。
もし私にも勇気があり、羽柴先輩に恐れ多くも告白なんてものをしてしまえば、同じようにそれこそ何もない私だと見放されてしまうのではないかと怖くて告白なんてできなかった。むしろ、笑いものにさえなっていたかもしれない。
冗談で好きかと聞かれて答えたとき肯定したのは、真に受けられることがないと分っていたからだ。そこからの進展というものはどうあっても発生しない。
羽柴先輩が先輩である限り、後輩のままであればいつまでかは分からないけれど、まだしばらくはこのままで居られると。休みには声をかけてくれて、分らないところがあり質問すれば教えてもくれる。
世間的なときめきのある会話はないけれど世間話なら出来る。それだけでいいじゃないか。それだけで。そう、思い込んでいたかった。
恋なんて知りません、恋愛なんて知りません。そういうものは、お伽噺の王子様とお姫様がするものでしょう。
歴代の彼女は、別れて以降姿をみていないし話にも出なかった。そんな関係もあるのだと、知っていたけれど、そんな関係にならなければ、今のままの位置に、ある意味で特別なこの場所に、居る事が出来る。
我ながら卑怯にもそう考えてしまったのだ。
この気持ちは、ただの思い過ごしだとそっと隠しておく事にした。見なかったフリをして、過ぎる度に知らないフリをした。
そうすると、時々バカみたいに傷付く自分が居たけれど、いいや、と何度もそんな自分を押し殺してぎゅうぎゅうに潰して、飲み込んだ。
変なことさえ考えなければ、先輩の隣で笑えるとそれだけを考えることにした。
「姫っていうより町娘なんだよな……って、言われたでしょ」
その言葉を、ずっと。
お守りのように、悪く言えば呪いのように。ずっと、心が折れてしまわないように唱えていた。
その言葉が、羽柴先輩との関係に新しい名前を付けない為の最後の抑止力だった。
けれど本当に、なんて皮肉なことだろう。片思いの相手にそんなことを言われるなんて、何処の世界にそれを予測できる人がいるだろう。思い出しては悲しくなる。
いや、確かに先輩は無自覚でちょっと上目づかいでみられたら構いたくなる。何と言っても女子に優しい。惹かれない要因を探す方が難しい。一目惚れならなおさら。
私が貰ったあの言葉にしても、羽柴先輩からすればたいした意味は無かったのかもしれない。
そのすぐ後に言っていた。まあ、姫より町娘の方が俺は好きだけど、と。
今までどうしてこっちに目が行かなかったのか不思議で仕方ないけど。まあ先輩は無自覚で王子だったのだ、当然の事を突き付けられてショックを受けていた私がさらっと聞き逃したとしても仕方がない。
「うわ、切り過ぎた」
まな板の上。てんこ盛りのキャベツやニンジン、根菜を細く切ったものをみて我ながら引いてしまった。帰りに寄った店で買った野菜の半分が今こうして小山になっている。
無心になるというのは難しいものだ、とザルやフライパンに分けてしまう。
帰宅してお風呂の用意だけ済ませて夕飯を食べる間もなく熱中してしまったが、これらを片づけてしまわないわけにはいかない。
「明らかに多い、明日こももにもっていこう……」
こももこと加宮胡桃は同期入社の女性だ。高校の頃にも呼ばれていたというあだ名を仕事の時以外は呼ばせてもらっている。私もあだ名で呼ばれているがそれはまあいい。
羽柴先輩と同じく外に出る方で営業として活躍している。彼女は高校の時の彼と結婚前提で既に同棲しているという。
世の中は不思議なものよ、としゃもじでフライパンのニンジンが焦げないように火を通していく。明日から当分、おかずには困らないかと別の意味でため息が出た。
特にはっきりと口にしたことはないし、羽柴先輩の「宇佐見は俺のこと好きだよなー」という軽い冗談に付き合って肯定したことはあるけれど、それ以上は深くその話を掘り下げたこともない。掘り下げられたとして、どう対処するのが上手な処世術なのか分からない。
好きだなあと思うことは何度もあった。容姿がどう、ということも要素のひとつではあるけれど、羽柴先輩が不精でだらしなくてもそれはそれだなあと思う。勉強をみてくれたりさりげなく優しかったり、それも外面の可能性は半分くらい否定できないけど、それでも口でこそカッコつけたいとは言いつつカッコ悪い所もみせている先輩を、私は好きだと思った。
でもそうやって先輩の些細な所を思い出す度にぶんぶんと首を振って、何事かと周囲を驚かせては笑って誤魔化していた。
羽柴先輩が、不定期で付き合う人を替えていることは知っていた。ただ、羽柴先輩が告白したことがないことも。
そう、付き合ってはいたけれど羽柴先輩は告白されたからそれに応えたにすぎなかった。そうして、付き合ってはみたものの何か違う、と一方的に別れを切り出されていた。というのが私がみた先輩の現実。
彼女が居る状態でも、羽柴先輩はたくさんの人と仲良くしていたし、サークルの後輩だからと私を大切にしてくれた。そういうところも、彼女になった人から疎まれたのかもしれないけれど、歴代の彼女さんたちが私にどうこうすることはなかった。その人たちとも特別仲良くするわけではなかったが普通によくしてもらっていたことは覚えているし、言ってしまうとその人たちと私では比べるまでもなかったということで、彼女たちが敵視するまでもなかった、という方が正しいのか。
敵にもなり得ない、どちらかといえば妹ポジションの人間が私だった。
もし私にも勇気があり、羽柴先輩に恐れ多くも告白なんてものをしてしまえば、同じようにそれこそ何もない私だと見放されてしまうのではないかと怖くて告白なんてできなかった。むしろ、笑いものにさえなっていたかもしれない。
冗談で好きかと聞かれて答えたとき肯定したのは、真に受けられることがないと分っていたからだ。そこからの進展というものはどうあっても発生しない。
羽柴先輩が先輩である限り、後輩のままであればいつまでかは分からないけれど、まだしばらくはこのままで居られると。休みには声をかけてくれて、分らないところがあり質問すれば教えてもくれる。
世間的なときめきのある会話はないけれど世間話なら出来る。それだけでいいじゃないか。それだけで。そう、思い込んでいたかった。
恋なんて知りません、恋愛なんて知りません。そういうものは、お伽噺の王子様とお姫様がするものでしょう。
歴代の彼女は、別れて以降姿をみていないし話にも出なかった。そんな関係もあるのだと、知っていたけれど、そんな関係にならなければ、今のままの位置に、ある意味で特別なこの場所に、居る事が出来る。
我ながら卑怯にもそう考えてしまったのだ。
この気持ちは、ただの思い過ごしだとそっと隠しておく事にした。見なかったフリをして、過ぎる度に知らないフリをした。
そうすると、時々バカみたいに傷付く自分が居たけれど、いいや、と何度もそんな自分を押し殺してぎゅうぎゅうに潰して、飲み込んだ。
変なことさえ考えなければ、先輩の隣で笑えるとそれだけを考えることにした。
「姫っていうより町娘なんだよな……って、言われたでしょ」
その言葉を、ずっと。
お守りのように、悪く言えば呪いのように。ずっと、心が折れてしまわないように唱えていた。
その言葉が、羽柴先輩との関係に新しい名前を付けない為の最後の抑止力だった。
けれど本当に、なんて皮肉なことだろう。片思いの相手にそんなことを言われるなんて、何処の世界にそれを予測できる人がいるだろう。思い出しては悲しくなる。
いや、確かに先輩は無自覚でちょっと上目づかいでみられたら構いたくなる。何と言っても女子に優しい。惹かれない要因を探す方が難しい。一目惚れならなおさら。
私が貰ったあの言葉にしても、羽柴先輩からすればたいした意味は無かったのかもしれない。
そのすぐ後に言っていた。まあ、姫より町娘の方が俺は好きだけど、と。
今までどうしてこっちに目が行かなかったのか不思議で仕方ないけど。まあ先輩は無自覚で王子だったのだ、当然の事を突き付けられてショックを受けていた私がさらっと聞き逃したとしても仕方がない。
「うわ、切り過ぎた」
まな板の上。てんこ盛りのキャベツやニンジン、根菜を細く切ったものをみて我ながら引いてしまった。帰りに寄った店で買った野菜の半分が今こうして小山になっている。
無心になるというのは難しいものだ、とザルやフライパンに分けてしまう。
帰宅してお風呂の用意だけ済ませて夕飯を食べる間もなく熱中してしまったが、これらを片づけてしまわないわけにはいかない。
「明らかに多い、明日こももにもっていこう……」
こももこと加宮胡桃は同期入社の女性だ。高校の頃にも呼ばれていたというあだ名を仕事の時以外は呼ばせてもらっている。私もあだ名で呼ばれているがそれはまあいい。
羽柴先輩と同じく外に出る方で営業として活躍している。彼女は高校の時の彼と結婚前提で既に同棲しているという。
世の中は不思議なものよ、としゃもじでフライパンのニンジンが焦げないように火を通していく。明日から当分、おかずには困らないかと別の意味でため息が出た。