町娘は王子様に恋をする

06

 この会社を選んだのは、会社の在り方や事業内容といったことよりも羽柴先輩がいたことが大きくかかわっている。
 大学四年になろうかという冬から春への変わり目。まだまだ悩みに悩んでいた進路の事をうっかり羽柴先輩に零したことが起因している。
 その頃羽柴先輩はというと社会人二年目に差し掛かっていた。覚える事ばかりだがやりがいはあって、今のところは就職できてよかった、と笑っていた。羽柴先輩が就職したという話を聞いた時に驚いたけれど同時にすぐに辞めてしまうのでは、という不安もあったがそれは不要だったらしい。
 本当のところはどうだったのか分からないけれど、実際ここで働き始めると職場の環境としては悪くは無いように思えた。人間関係もあまり悪くはなく、お局さまやらねちっこい上司なんて噂話に語られる妖怪かお化けみたいなものだったんだな、とホッとしたのを覚えている。
 そんな社会人二年目にさしかかろうという羽柴先輩に、うっかり就職がまずできるのか不安であるとこぼしてしまったのだ。
 こと勉強に関して努力はしたし、好きな方面の知識に限ってはある方だと自負しているけれど、大学も面白そうだ、と思い選んで入試を受けたわけだし、はっきりと向かう先を定めていなかった。その域に至るまで、余裕はなかった。

「じゃあ、ダメもとでウチも受けてみれば?」
「へ?」

 もぐもぐと茹でた枝豆をつまみながらそういった。軽い衝立と暖簾で区切っているだけの個室というか迷ってしまう仕切られた空間のある居酒屋さんだった。羽柴先輩はビールを頼んでいたけれど、私はウーロン茶にしていた。テーブルに並ぶ櫛にさした焼き鳥と、枝豆で夕飯というには偏りのある食事をしていた。
 目からうろこというか、意外というか。羽柴先輩の口からそんな言葉が出てくるとは、考えもしなかったから、間抜けな顔を晒してしまった。

「どうせ何社も受けてんならその一個にウチいれときなよ、俺、こうは言っても人事の人間じゃないからなんも手は出せないけど」

 いたずらっ子のようにニシシと笑って、羽柴先輩はスーツのポケットを探って皮の名刺入れから取り出した名刺をくれた。
 白い名刺に、会社名と所属部署、羽柴先輩のフルネームと会社の所在と連絡先が印字されている。裏側には地図と、事業所、QRコードも載っている。
 あまりにすんなり出て来たから、会社で作ってもらってる経費のヤツですよね? ポイポイ配っては駄目なやつでは? と不安になって早口で言ってしまったが、先輩は一枚くらい取引先じゃない知り合いに渡しても大丈夫でしょ、とやっぱり笑っている。
 お酒の回りが早いような、とそんな心配もしながら名刺をまじまじと眺める。

「俺、今営業してんだけど、営業で事務の人欲しいなって先輩たちも云ってて、その内採るんだろうけど、宇佐見に情報漏洩しとくね」
「え、それ駄目なやつでは……?」
「何人採る、でなし、枠できるかも? だからたぶん大丈夫……かな、ダメだったらどうしよう」

 まあいいか、と笑い上戸になっている。以前はそんな気配もなかったし、今日だってまだビールも二杯目だ。

「あの」
「ん?」
「羽柴先輩の会社は、どんなことを主にしていてこれからどう成長していく、見込? なんですか?」
「企業の説明会みたいなのはじめちゃうか?」
「え、いや、そんな堅苦しいものでは、ないですけど。先輩もお勧めするところはどんな会社かと……少し興味がわきました」
「いいね、興味持ってもらえるのは嬉しい。うちの会社はね」

 と、飲み屋で急に企業説明会みたいなことをやってしまったというのも記憶に新しい。
 もちろん、それから他の会社もいくつか受けた。お祈りメールもたくさんいただいた。先輩の会社が事務の採用を出したのは、夏ごろで、もうほとんど諦めかけていた私は先輩のあの日の軽い口調を思い出しながら、書類を作って応募したのだ。
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