ミニトマトの口づけ
3. 千年変わらぬもの
まったく、夜桜を見ながらお酒を飲むだなんて、誰が言い出したのだろう。
冷たい夜風が吹き抜けると、桜の花びらがはらはら舞う。
「桜まつり」と書かれた提灯に照らされ、隙間だらけの枝の間から夜空が見える。
酒宴を抜けて、私は喧騒の中を歩いた。
歩道は人通りが多いので、屋台の裏に回って芝生の上を歩く。
わたあめ、焼きそば、ヨーヨー釣り、フライドポテト。
屋台の裏側は薄暗く、ダンボール箱やガスボンベが置かれているけれど、人がいないので歩きやすい。
その足にも桜の花びらが降りた。
桜が愛される理由のひとつに、散り際の潔さがあると言われる。
見頃を終えたチューリップは花びらがだらしなくめくれるし、紫陽花は散らずに茶色くなったまま何ヵ月もそこにある。
言われてみれば、散っていく様までうつくしい花も、めずらしいのかもしれない。
マフラーの隙間から冷気が入り込んで、私は背中を丸めて歩く。
まったく、夜桜を見ながらお酒を飲むだなんて、そもそも誰が始めたんだろう。
千年前だって、桜の季節はまだ寒かっただろうに。
「寒いですね」
目ざとく追いかけてきた寺島先生は、実感のこもらない声で言った。
震えながら歩く私の隣を、缶ビールを傾けながらゆったりと歩く。
「よくビールなんて飲めますね」
見るだけで体温が下がるような気がして、私はビールの缶から目をそらす。
「ビールが飲めない状況なんてありますか?」
「今です。寒いです」
「酒飲めば気にならなくなりますよ」
そう言うだけあって、着ぶくれした私の隣で、先生は厚手のパーカーという軽装だった。
「先生みたいな人が、いつの時代にもいたんでしょうね」
「……どういうことですか?」
「いえ、別に」
新年度を迎え、毎年恒例の観桜会が開かれている。
例年であれば、駅前にあるホテルのどこかで、「観桜」とは名ばかりの食事会をして終わるのに、今年は誰かの発案で「夜桜を見ながら」となった。
駅からバスで十分ほどのこの公園は、市内では一応桜の名所という触れ込みになっている。
そう呼ばれるだけあって、桜の本数はなかなか多い。
けれど、それ以上にアカマツやケヤキやメタセコイアがあるので、桜は間借りしているようにしか見えないのだ。
あの圧倒的な桜を知っている私は、今日の桜に何の感慨も持っていない。
「紀藤さん、ずっとしんどそうですもんね」
精一杯取り繕った笑顔は、報われていなかったらしい。
徒労感に肩が落ちる。
「何か失礼を?」
「いいえ。他の人は気づいてないと思います」
私がどう思おうと、他の人は『気づいてない』のではなく、『気にしない』のだけど、そんなことはわかって言っているひとだ。
「千年前のお姫様だってきっと、夜桜のときは寒くて笑顔も凍ってましたよ」
そもそも私は、酒席というものが苦手だ。
「無礼講」や「酔った勢い」などという免罪符で、触れられたくないことにズカズカと踏み込まれたりする。
そのくせ頭の中は明瞭で、翌日になっても忘れてくれたりはしないのだ。
「酒を飲まないと腹を割って話せない」というのなら、そんな腹など割らなくてよろしい。
「でも、夜の桜ってきれいじゃないですか」
先生はビールを飲むついでのように言った。
たぶん、チューリップでも紫陽花でも同じように「きれいじゃないですか」というひとだ。
実際、先生がビール缶を傾けながら見上げているのはイチョウの木だった。