奏でる愛は憎しみを超えて ~二度と顔を見せるなと言われたのに愛されています~
十分も経たないうちに、奈美が帰ってきた。
商店街の薬局で買った袋をそっと梨音に手渡しながら、囁くような声で話しかけてくる。
「梨音ちゃんが買うと目立つからね。これで確かめて」
「奈美さん、感謝します」
梨音はすぐに二階の部屋に上がって、検査薬に添えられている説明書を読んだ。
簡単な文章なのに、梨音の手は震えていて読みずらいほどだ。
(まさか……)
自分が検査薬を試す日がくるとは、想像もしていなかった。
奏は、いつも避妊していたはずだ。
まだ大学生だったし梨音には音楽の勉強が一番だから、奏は妊娠しないように気をつけていたのだ。
(もし妊娠していたら)
梨音は結果が出るまでの時間がとてつもなく長く感じた。
結果は、陽性だった。
(赤ちゃんができた!)
父親は、奏だ。あれほど愛していた人との赤ちゃんだ。
だが、『二度と、顔を見せるな』と、冷たく言い放った冷たい人でもある。
結果がわかったとたん、考えないようにしていたあの日のことやふたりのこれまでの思い出が次々に浮かんでは消えていく。
(もう音楽の世界からは離れたし、恋人も、将来の夢も、なんにもないのに)
それなのに、赤ちゃんが出来た。
悲しいのに、飛び上がりそうなほど嬉しいという反対の感情が梨音の心の中でせめぎ合う。
おまけに、どうしようもなく溢れてくる涙を止めることができなくて梨音は泣いた。
悲しい涙か嬉しい涙なのか自分でも分からないまま、ひとりで泣き続けた。