「みえない僕と、きこえない君と」
「僕は少しずつ視野が狭くなる病気でね、いまは

ほとんど見えていないんです。ストローの先から

世界を覗くような感じと言えばわかるかな。でも、

耳は普通に聞こえるし、嗅覚や触覚もある。

あなたのことは、近づいてくる足音でわかるんです。

ああ、今日も元気に走っているな、という風にね」

「なるほど。足音ですか」

人間の五感というのは大したものだと、

感心しながら頷いた。五感の中で最も情報量を

占めているのは視覚で、その割合は8割以上にも

なるのだと、以前、何かの本で読んだことがある。

けれど、その機能が欠けてしまった人は、残された

感覚が鋭利になるらしい。子供のころ、悪戯心から

伯父の取り皿に、嫌いなシイタケやピーマンを

こっそり載せたことがあるが、伯父は箸で触れる

だけでわかるのか、はたまた、匂いをかぎ分ける

のか、載せられた食材が伯父の口に入ることは

なかった。

思わず、「ふうん」と鼻を鳴らしてしまった僕に、

伯父が苦笑いしたことが思い起こされる。




「色々とご苦労されているんでしょうね」

そんな思い出に浸りながら、つい、行き過ぎた

ことを言ってしまった僕に、その男性はやはり

気を悪くするでもなく、いいや、と首を振った。

「確かに、普通の人に比べれば不便なことも

あるけど、悪いことばかりでもないんです。

ほら、聞いたことありませんか。人生において、

幸せの配分ってゆうのは、初めから決められて

いるっていう話。僕はこの病気になって光を

失ったけれど、同時に、この病気になったこと

で最愛の人にも出会えた。不幸せなことがあれば、

それよりも少しだけ多く幸せなこともある。

そういう風に考えれば、辛いことを乗り越える

のも楽しくなるんですよ」

芝生を駆け回る子供たちを向いたままで、

笑みを浮かべる。

「幸せの配分か。何だかいいですね、そういうの」

まるで、おとぎ話を聞く子供のような心持で、

僕は頷いた。

ついさっき、出会ったばかりの僕たちも、

彼の言う「幸せの配分」というものに導かれた

のだとしたら、杖を転がした風にさえ運命を

感じることができる。

同じ景色を見ながら、そんなことを考えていた

僕に、男性は「20年以上も前の話になるけどね」

と、語り始めた。






-----僕がその病名を告げられたのは、17歳の時だった。



網膜色素変性症(もうまくしきそへんせいしょう)

医師の口から飛び出した小難しいその病は、

少しずつ少しずつ、長い年月をかけて視界が狭く

なってゆく病気で、まだ治療法が確立していないの

だと聞かされた。隣に座る母と顔を見合わせる。

治療法のない病だと言われても、実感が湧かなかった。


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