「みえない僕と、きこえない君と」
(今夜はビーフシチューよ。美味しいパンも

買ってきたから、早く下へおりていらっしゃい)

いつもと変わらぬ笑みを向けながらそう言った

母さんに、わたしもまた、いつもと変わらぬ

笑みを返すことしか出来なかった。






「ねぇ見て、海がキラキラ光ってるよ!」

あれよあれよという間にWデートが決まった

あの夜から、二週間後の週末。

僕たちは町田さんの車で、海浜公園に向かっ

ていた。

後部座席から咲さんの弾んだ声が聞こえる。

僕たち3人は現地に向かう途中の駅で待ち

合わせをし、迎えに来てくれた町田さんの車に

乗り込んだのだけれど、初めて会った時から

松本咲さんはとても明るくて、社交的で、

僕も町田さんもすぐに打ち解けることが

出来た。

長く、キレイな髪を風に靡かせながら、

手話で弥凪に話しかけながら、そう言った

咲さんに、町田さんが目を細める。

「今日は爽やかな天気だし、波も穏やかだし、

サーファーがいっぱい来てるな。レジャー

シート持ってきたし、好きなもん買って、

砂浜で食べるのも良さそうだ」

ちら、とバックミラーに目をやりながら

そう言った町田さんに、咲さんが笑って頷く。

僕は助手席でそのやり取りを見ながら、

知らず、頬を緩めていた。

どうやら、町田さんは彼女に会った瞬間から、

好意を抱いているようだった。

それは僕も同じで、町田さんとはまったく違っ

た意味で、咲さんに好感を持っている。

もとより、咲さんは手話が得意だということ

は知っていたけれど、彼女は常に“みんなの”

会話を手話で同時通訳し、弥凪が会話から取り

残されないよう、伝えていた。僕は、完璧に

弥凪の耳の代わりとなっている彼女の姿に

感服し、一日も早く、自分も彼女のように

手話が話せるようになりたいと強く願ったの

だった。そうして、後部座席で楽しそうに

二人が話している姿を見るにつけ、思い至る

ことがある。

どうして咲さんが助手席ではなく、後部座席を

選んだのかという理由。

その答えは、至極簡単だった。

町田さんも始めこそ少し残念そうな顔を

見せたが、いまは満足そうに笑んでいる。

僕は僕で、助手席の方が高速代や駐車代を

出しやすいので、結果的に咲さんの提案は

大正解だった。




インターチェンジを降りて、車を南東へ10分

程走らせると、大きな観覧車が見えてきた。

「うわぁ、海の上に観覧車があるみたいだね!」

爽やかな風と共に咲さんの声が聞こえてくる。

弥凪も白い歯を見せながら、窓に身を寄せていた。

「着いたら、まずは何か食べよっか?」

僕はそんな二人を振り返りながら、すでに、

空腹を訴え始めていたお腹を擦ったのだった。
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