「みえない僕と、きこえない君と」
右手の指を揃え、左胸から右胸にスライドさせる。

そして、人差し指と親指で眉間をつまむような

仕草をした後、その手を片手で拝むようにして

見せた。

(大丈夫ですか?ごめんなさい)

手話を見た彼女の表情が、パッと明るいものに

変わる。どうやら通じたようだ。

安堵したのか、彼女は慣れた手つきで(せき)を切った

ように手話で話し出した。

「あっ……ごめっ、ちょっと待って」

彼女を手で制し、懐のポケットから携帯を取り出す。

僕が覚えている手話は微々たるもので、とても

会話を理解できるレベルではない。

携帯を持っていてよかった。

僕は、半年前に買ったばかりの携帯に親指で

文字を打ち込み、液晶画面を見せた。

(手話は少ししか知らないんです。

僕の不注意でぶつかって、ごめんなさい。

怪我はないですか?)

文章を読んだ彼女はこくりと頷いて、すぐに

ガサゴソと鞄を探り始める。

そうして、僕と色違いの二つ折り携帯を取り

出すと、文字を打った。

(大丈夫です。びっくりしたけど)

その言葉にほっと胸を撫でおろして、彼女に

手を差し伸べる。

彼女は携帯を持ったままで立ち上がると、

ほんの少し顔を顰めた。

そのリアクションに気付き、彼女の膝に目をやる。

右足が擦りむけてちょっと血が滲んでいる。

(うわっ、血が出てる!ごめんなさい)

ご丁寧に、独立語まで打ち込んで、僕は携帯を

彼女に向けた。ふっ、と彼女の頬がゆるむ。

そして、見事な早打ちで文章を書き、それを見せた。

(これくらい平気です。心配しないでください)

目の前のやわらかな笑みに、鼓動をひとつ鳴らし

ながら、「でも…」と声を漏らし、考え込んだ。

平気だ、大丈夫だという言葉を額面通り受け

取って、この場を去っていいものだろうか。

僕は加害者だ。

そんなことは絶対にないだろうけど、後になって

足が折れていたとわかった時、彼女は困るのでは

ないか?僕はそう思い至ると、鞄から名刺を

取り出し、渡した。

羽柴(はしば) 純一(じゅんいち)といいます。

ここで働いているので、何かあったらいつでも

連絡ください)

まじまじと、名刺を眺めながら彼女が頷く。

もしかして、就労移行支援という制度があることを

知らないのだろうか。もちろん、名刺を渡したのは、

思わぬ事態が発生した時の連絡先に、という意味

なのだけど。

障がい者手帳を持っていれば、色んなサポートが

無料で受けられるし、困ったことがあれば相談して

欲しいという気持ちもあった。

(前年度の収入によって自己負担が発生する場合もある)

僕は指導員の心持で、言葉を綴った。
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