「みえない僕と、きこえない君と」
その動きはあまりに自然で、当たり前のようで、
それでいて、泣きたくなるくらいやさしかった。
「ありがとう」
僕は熱いマグカップを両手で包みながら、
コーヒーの香りをかいだ。ふわり、と、視界の
隅で彼女が微笑む。ただそれだけで、僕たちは、
世界で一番幸せな恋人たちでいられた。
僕がマグカップに口をつけるのを見届けると、
彼女はおもむろに立ち上がり、カーテンを開けた。
シャッ、と小気味よい音と共に、まだ、薄明の空
から淡い光が、射し込む。
彼女を振り返れば、カーテンを手に、夜明け前
の澄んだ世界を、じっと眺めている。その姿は、
やはり、ため息が出るほどに美しく、愛おしく、
僕はしばしその光景に見惚れてしまった。
不意に、言いようのない喪失感が僕を襲った。
幸せで満たされているはずの心に、突如、黒い
染みが広がってゆく。
-----僕はいつか必ず、彼女の姿を失ってしまう。
そんな残酷な未来が、どうしてか、すぐそばに
まで近づいているように感じられ、どうにも
胸が苦しかった。
僕は彼女を見つめたままで、唇を噛んだ。
-----どうして僕は、この病気に選ばれてしまった
のだろう?
それは、いままで、考えないようにと、目を逸ら
していたことだった。
考えてしまえば、本当は見えていたはずの世界
を想い、誰かを恨みたくなってしまう。
そして、そんな想いに捕らわれれば、僕は、
僕自身の運命を受け止め、前に進めなくなって
しまう。
だから僕は、この病気を告げられたあの日から、
誰にも“弱さ”を見せなかった。父にも、母にも、
友人にも、自分はこんな病気くらい、容易に
背負って生きてゆけるのだと、虚勢を張って
いた。
けれど、何物にも代えがたいほど、大切な存在
を手にした途端に、そのメッキが剥がれてしまう。
-----ずっと、彼女を見つめていたい。
その願いが、僕の心の中を焦がして、焦がして、
ついには、ぱたりと、手の甲に雫が落ちていた。
「………?」
僕はそれが何なのか、すぐにはわからなかった。
振り返った弥凪が僕を見、眉を顰める。そうして、
僕の元へ来ると、手を伸ばし、頭を抱き寄せた。
「……やなぎ?」
戸惑いから呼んだ彼女の名が震えていたことで、
僕はようやく、自分が涙を流していることに気付
いた。気付いてしまえば、それは、後から後から
込み上げてきて、止まらない。
僕は、“僕の”トレーナーを握りしめ、彼女にしが
みついた。そうして、大好きな人の前で、嗚咽を
漏らし始めた。
「……っ、くっ……うっ……」
喉が痛かった。止めようとしても、それは強引に
喉の奥から込み上げて、どうにも止まらない。
それでいて、泣きたくなるくらいやさしかった。
「ありがとう」
僕は熱いマグカップを両手で包みながら、
コーヒーの香りをかいだ。ふわり、と、視界の
隅で彼女が微笑む。ただそれだけで、僕たちは、
世界で一番幸せな恋人たちでいられた。
僕がマグカップに口をつけるのを見届けると、
彼女はおもむろに立ち上がり、カーテンを開けた。
シャッ、と小気味よい音と共に、まだ、薄明の空
から淡い光が、射し込む。
彼女を振り返れば、カーテンを手に、夜明け前
の澄んだ世界を、じっと眺めている。その姿は、
やはり、ため息が出るほどに美しく、愛おしく、
僕はしばしその光景に見惚れてしまった。
不意に、言いようのない喪失感が僕を襲った。
幸せで満たされているはずの心に、突如、黒い
染みが広がってゆく。
-----僕はいつか必ず、彼女の姿を失ってしまう。
そんな残酷な未来が、どうしてか、すぐそばに
まで近づいているように感じられ、どうにも
胸が苦しかった。
僕は彼女を見つめたままで、唇を噛んだ。
-----どうして僕は、この病気に選ばれてしまった
のだろう?
それは、いままで、考えないようにと、目を逸ら
していたことだった。
考えてしまえば、本当は見えていたはずの世界
を想い、誰かを恨みたくなってしまう。
そして、そんな想いに捕らわれれば、僕は、
僕自身の運命を受け止め、前に進めなくなって
しまう。
だから僕は、この病気を告げられたあの日から、
誰にも“弱さ”を見せなかった。父にも、母にも、
友人にも、自分はこんな病気くらい、容易に
背負って生きてゆけるのだと、虚勢を張って
いた。
けれど、何物にも代えがたいほど、大切な存在
を手にした途端に、そのメッキが剥がれてしまう。
-----ずっと、彼女を見つめていたい。
その願いが、僕の心の中を焦がして、焦がして、
ついには、ぱたりと、手の甲に雫が落ちていた。
「………?」
僕はそれが何なのか、すぐにはわからなかった。
振り返った弥凪が僕を見、眉を顰める。そうして、
僕の元へ来ると、手を伸ばし、頭を抱き寄せた。
「……やなぎ?」
戸惑いから呼んだ彼女の名が震えていたことで、
僕はようやく、自分が涙を流していることに気付
いた。気付いてしまえば、それは、後から後から
込み上げてきて、止まらない。
僕は、“僕の”トレーナーを握りしめ、彼女にしが
みついた。そうして、大好きな人の前で、嗚咽を
漏らし始めた。
「……っ、くっ……うっ……」
喉が痛かった。止めようとしても、それは強引に
喉の奥から込み上げて、どうにも止まらない。