「みえない僕と、きこえない君と」
薄明に照らされた狭い部屋に、情けない

僕の声が響く。涙で顔をぐしゃぐしゃに

して泣き続ける僕の背を、弥凪は母のように

優しく撫でてくれる。

その温もりは、泣いていいのだと、もう、

一人で抱えなくていいのだと言ってくれて

いるようで、僕の涙は止まらない。



-----ずっと、弥凪を見ていたい。

-----見える世界を、失くしたくなんかない。



その言葉を、幾度も心の中で繰り返しながら、

僕は部屋が朝日に照らされるまで、泣き続けた。









二人で朝を迎えたあの日から、半年が過ぎた。

僕の見える世界は相変わらず狭かったけれど、

僕たちは穏やかに、(つつが)なく日々を過ごしていた。

そんな中で、小さな変化はいくつかあった。

その一つは、弥凪が就労支援プログラムを終え、

トライアル雇用先に就職したことだ。

彼女は幼児向け教材を制作する会社に就職し、

教材やパンフレットのイラスト制作アシス

タントとして活躍している。

この会社には、もう一人事業所の卒業生が在籍

しているし、自社内制作なので厳しい納期や

残業もほぼない。チームで仕事をしていくので、

コミュニケーションに多少の不安はあったよう

だけれど、その点も事業所の先輩がカバーして

くれたので、弥凪の就職はすんなりと決まった。




そして、もう一つの変化が、町田さんと咲さんだ。

彼らの仲は、海浜公園から二回目のデートで

進展し、晴れて恋人同士となった。

「もうさぁ、咲が本当に可愛くてさー」

と、昼休みのたびに町田さんの惚気話を聞か

されるようになったのは少し苦痛だけれど、

彼のデスクの上に飾られている、ビーナスベルト

を背景に笑い合う二人の写真を見るたび、

ほっこりしてしまう僕もいる。

土産屋で買ったお揃いのフォトフレームは、

僕の部屋のローチェストにも飾られていて、

その写真を見るたびに「また、行きたいね」

と、思い出話をするのが、僕たち“4人の”

通例となっていた。



そう、付き合い始めた町田さんと咲さんは、

僕の部屋に泊まりに来るようになったのだ。

その頻度は、月に一度か二度だけれど、

僕は元々独占欲が強い方なので、最初の

うちは二人の時間が削られてしまうようで

少し寂しかった。けれどいまは、彼らが僕の

部屋に押し掛けることを、感謝すらしている。

手話のスパルタ講師が二人に増えたことで、

僕の手話スキルは格段に上がったし、酒を

飲みながら、他愛もない話で盛り上がりなが

ら、共に夜を明かすのはとても楽しかった。

だから、僕の部屋の片隅には、客人用の

布団が二組積み重なっている。彼らのマグ

カップや歯ブラシも増えたから、僕の部屋は

一見すると、4人が暮らしているように見える

だろう。
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