「みえない僕と、きこえない君と」
しなければならないことは、すでにわかって

いた。僕は石神さんや会のみんなから、見え

ない世界を生きる術を、学んでいたからだ。

健常者と同じように社会に身を置き、

“見えないなり”に生きている人は沢山いる。

担当医の言っていた通り、まずは、中途失明

訓練校に足を運び、点字や盲人用パソコン、

白い杖の使い方を身に付けるべきだろう。



それから……



そこまで考えて僕は弥凪の顔を思い浮かべた。

したいことは、一つしかなかった。



-----弥凪のウエディングドレス姿が、見たい。



僕のために、純白のドレスを纏った弥凪の姿を、

この目に焼き付けておきたかった。

けれど、僕たちはまだ、付き合って7カ月足ら

ずだ。もし、僕のこの想いを聞いたら、弥凪は

さすがに早すぎると、難色を示すのではないか?

それとも、悲観的過ぎると、呆れるだろうか?

僕は口の中のコッペパンを飲み込み、ため息

をついた。こんなところで、一人で悩んで

いても仕方のないことだ。

まずは、今日のことを弥凪に話して………

そう、考えていた時、ポケットの中で携帯が

震えた。電話だ。誰だろう?

僕はポケットから携帯を取り出し、液晶画面

を見た。

そうして、ぎくりとする。電話の主は、



-----母だった。



そう言えば、この間、検査の日はいつか?

と、母から聞かれていたことを思い出す。

毎年、母はこの時期に僕が検査を受ける

ことを知っているのだ。

僕は躊躇いながらも、ひとつ呼吸をして

息を整えると、応答ボタンを押した。

「もしもし…………うん、いま?大丈夫だよ」

携帯の向こうから、いつもと変わらぬ母の声が

聞こえる。僕は空っぽになったコッペパンの

ビニールを握りしめ、遠くを見やった。

「うん…………ああ、それね。行ってきたよ。

いま、帰り。え?ああ、…………結果ね。

大丈夫だって。特に問題なかったよ」

僕は努めて自然に言った。

『良かった、安心した』

電話の向こうから、母の安堵した声が聞こ

える。その瞬間、ツン、と鼻先が痛んで

困ったけれど、僕は明るい声のままで、

すぐに話を変えた。

「それよりさ、会わせたい人がいるんだ。

いますぐじゃないけれど、そのうち連れて

行くよ」

その言葉に、一瞬、息を呑んだ母の様子が

窺える。じっと母の言葉を待っていると、

母はため息を漏らしながら、『そう』と、

呟いた。そして、『どんな人なの?』と、

訊ねた。

「やさしい人だよ。とても。僕の目のことも、

ちゃんとわかってくれて、いつも支えてくれて

る。でもね、彼女………耳が聞こえないんだ」

そう口にした僕に、母はしばし沈黙する。

けれど数秒後には、いつもと同じ声音で、

『やさしい人に出会えて良かったね』と、

笑ってくれたので、僕は少し救われたような

気持ちで、家路についたのだった。
< 80 / 111 >

この作品をシェア

pagetop