「みえない僕と、きこえない君と」
「とても美味しいですね。香りも芳醇という

か、すっ、と体に沁み込むというか……

高級な味がします」

僕はブルーマウンテンを口にしながら、

石神さんにそう感想を述べた。

ここは、彼の行きつけのカフェで、僕いま、

コーヒーをご馳走になっている。

石神さんは、「今度ゆっくりコーヒーでも」

と言ったことを覚えていてくれて、僕を

この店に連れて来てくれたのだった。

「そうでしょう?ブルーマウンテンは、

コーヒーの王様と呼ばれるほど、苦味・

酸味・甘味・コクのバランスが優れている

んです。だから、日本人はブルーマウンテ

ンを愛飲している人が多いんですよ。

わたしは、今日のように、特別なおもてなし

をしたい時にしか飲みませんが……

どうしてかな。今日は特に美味しく感じます」

ふふ、と頬をゆるめ、石神さんもカップに

口をつける。僕はそのやわらかな笑みに、

ほっ、としながら、店内を眺めた。




広い店内は採光が良く、入り口から店の奥

の化粧室までバリアフリーとなっている。

ひとつひとつの客席もゆったりとしているの

で、ここなら、白い杖を持って歩いても、椅子

やテーブルの脚が邪魔することはなさそう

だった。次は、弥凪を一緒に連れて来よう。

そんなことを考えながら、コーヒーを口に

含んだ僕に、石神さんは、しみじみとした

口調で言った。

「それにしても、話が“結婚”にまで及ぶとは。

短い間に、ずいぶん色んなことを決断しま

したな」

椅子に背を預け、両手を腹の上で組み合わ

せると、石神さんは、すっ、と目を細めた。






視野狭窄が進んでいると告げられたあの日、

僕は部屋に来た弥凪に、ありのままを話した。

僕の顔をじっと見つめながら真剣に話を聞い

ていた弥凪は、手話と筆談を交え話し終えた

僕に、(わたしも一緒に頑張る)と、いつかの

夜と同じ、強い目をして言ったのだった。

その翌週、さっそく、僕たちは“もしもの時”に

備え、中途失明訓練校に足を運んだ。

そこでは、白い杖を使った歩行訓練を始め、

点字講習会、盲人用パソコンの指導、料理や

化粧の仕方まで、日常生活を円滑に過ごす

ための、あらゆる手段を教えてくれる。

僕はまず白い杖を購入し、歩行訓練と点字

の習得から始めることとなったのだが、点字

の習得は手話よりも梃子摺(てこず)りそうだった。

点字は6つの点の組み合わせで表現される

のだが、その文字が記載されている場所は

多岐にわたる。例えば、家の中なら洗濯機、

炊飯器、電子レンジ、テレビのリモコンに、

シャンプーの容器や飲み物の缶、お札など、

探してみればキリがない。
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