「みえない僕と、きこえない君と」
「大変なご病気を抱えていらっしゃるのね。

でも、そんな風に見えないのは、羽柴さんの

お人柄のせいかしら。あちらのご両親はなんて

おっしゃっているの?弥凪の耳のこと、もう、

お話されたんでしょう?」

僕の親はこの結婚を反対していないのか?

ということを、暗に訊ねているのだろう。

言葉は穏やかだが、表情から戸惑いの色は

消えていない。

「はい。母には、電話で伝えました。最初は

少し驚いた様子でしたが、いい人に出会えて

良かったと、祝福してくれています」

そこまで言うと、じっと僕の口元を見ていた

弥凪が、テーブルの下でそっと手を握った。

僕はその手を握り返し、微笑を向ける。

どちらの親にも、僕から話したかったのだ。

こんな荷の重い話を、弥凪の口から言わせる

のが嫌だった。

「そう。あちらのご両親も理解してくれて

いるのね。なら、わたしたちも……二人が

決めたことなら、何も言うことはないわよ

ねぇ?あなた」

僕たちのやり取りを、どこか上の空で聞いて

いた父親に、語りかける。ふっ、と意識が

戻ったように瞬きをすると、父親は「ああ」

とだけ呟いて、水滴だらけのビアグラスに

手を伸ばした。

「さあ。この話は、ここまでにしましょう。

せっかくお寿司を頼んだのに、食べないと色

が変わってしまうわ。羽柴さん、お醤油は

その小皿を使っていただける?」

張りつめてしまった空気を解すように、母親

が明るい声で聞いた。

「ありがとうございます。いただきます」

僕は温いビールをぐびぐびと一気飲みした

父親を視界の隅に捉えながら、箸を手に取った。





それからは、弥凪の新しい職場の話や、町田さん

たちと海へ行った話など、当たり障りのない話題

ばかりが食卓に上がった。

談笑する僕たちを他所に、神妙な面持ちで

酒を飲んでいる父親を前に、結婚の日取りや

親同士の顔合わせなど、具体的なことを口に

出せる雰囲気ではなかったからだ。やがて、

何本もの缶ビールが空っぽになると、父親は

赤ら顔で言った。

「何か別の酒が飲みたいな。水割りでも作って

くれないか。この間もらった辛口ソーセージも、

あるだろう?出してくれ。羽柴さんも、食べる

だろうから」

「でもあなた、ちょっと飲み過ぎじゃありま

せん?顔が真っ赤ですよ」

「大丈夫だ、これくらい。弥凪も、母さんを

手伝いなさい。彼も、ビールばかりじゃ飽きる

だろう」

先ほどまでとは打って変わって、父親の口調は

威圧的だった。戸惑ったように僕を覗く母親に、

助け舟を出す。

「あの、僕も水割り、いただいていいですか?

ビールだとお腹が張ってしまうので」

「……そうですか?じゃあ、すぐに作りますね」

そう言って立ち上がると、空っぽの缶ビールを

手に、弥凪を連れてキッチンに入った。
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