「みえない僕と、きこえない君と」

“大丈夫だよ。心配しなくても、僕は絶対に

弥凪を離さないから。お父さんが許して

くれるまで、頭を下げるつもりでいるし、

ちゃんと認めてもらえるように、いまより

もっと、頑張るつもりだし。お父さんだっ

て、いつかきっとわかってくれるよ。 

だから、そんなに悲しまないで。弥凪が

泣いてると、僕まで悲しくなっちゃうよ”



-----絶対に離さない。



そのひと言に安心したのか、弥凪はやっと

淡く笑んで僕を見上げてくれた。そうして、

僕の手からマーカーを抜き取る。ホワイト

ボードには、まだ、余白が沢山あった。

“でも、父さんが結婚を許してくれない間に、

純の病気が進行しちゃうかも知れないで

しょ?そしたら、子供の顔だって、成長

だって、純は見られなくなっちゃう”



-----ああ、やっぱり。



僕はその言葉に目を走らせると、あの日、

石神さんに言われたことを思い出した。

僕が失うことばかりに目を向けていたせい

で、弥凪まで人生を急ぎ足で進もうとしている。



----目が見えないことが、すべてではない。



その言葉の意味を理解できなければ、

閉じた瞼の裏に映る弥凪の笑顔さえ、

“見えないもの”となってしまうのだ。

僕は小さく息をつき、首を振った。


“もしかしたら、そうなるかも知れない

けど、それでも、大丈夫。弥凪の笑顔は、

いつだって僕の心に映ってるし、子供の顔

だっていくらでも思い描くことは出来るよ。

だから、焦らないで。ちゃんと、二人の

人生を歩もう。僕は絶対に、この手を離さ

ないから。信じて、お父さんのところに

帰ってあげて”


肩を抱く手に力を込めると、彼女はようやく

安堵した顔で頷いてくれた。

その肩を引き寄せ、唇にキスを落とす。

軽く重ねただけの唇からは、ほんのりと

塩の味がした。






(着替えようか)

マーカーをホワイトボードに戻すと、僕は

クローゼットから青いチェックのシャツを

出した。それを弥凪に着せ、その上から

ベージュのパーカーを羽織らせてやる。

初デートの日、このパーカーで覆った

弥凪にキスしたことを思い出せば、胸の奥

が何だかこそばゆい。



彼女の肩を抱いたまま、鍵を手に、部屋を

出ようとした僕の腕の中で、不意に弥凪が

立ち止まった。

「……?」

不思議に思い、彼女が目を向ける先を見やれ

ば、ローチェストの上、海浜公園で撮った

写真の前に置いていた小さな貝殻が、

二つに割れている。

弥凪が波打ち際で拾った、あの貝殻だ。

「あれ、いつの間に割れたんだろう?

部屋が、乾燥してたのかな……」

じっと、貝殻を見つめている弥凪にそう言う

と、彼女は僅かに不安の色を宿した目で、

僕を見た。

「また、拾いに行こう。今度は、もっと

沢山。ね」

そう笑いかけると、彼女は淡く口元で笑んで、

僕に促されるまま、部屋を出たのだった。

< 96 / 111 >

この作品をシェア

pagetop