最低なのに恋をした
「ない?」

私は思わず聞き返した。

「打ち合わせは安西さんを連れ出す口実。打ち合わせっていうより話したかっただけ」

「口実…」

えええええええええっ!私お弁当持ってきていたんですけど。と、心の中で叫ぶ。

専務は全く悪気がなさそうに私に笑顔を向けている。

という事は、ただただお昼をご馳走になっただけ。美味しかったけれども。

「…懇親会、的な?」

私の中の語彙をフル回転させ今の状況にピッタリな言葉を探した。
それで出たのが「懇親会」…なんじゃそりゃ。

「そうそう、懇親会。安西さん、眉間に皺寄ってるよ」

そう言われて思わず右手で眉間を押さえる。

「たまにお兄さんのお店に行ってるよ」

「え、兄のお店?」

「そう。安西さんいるかなぁと思って」

「…」

つい専務の目をじっと見てしまう。チャラい冗談なのだろう。

年齢的にも専務という肩書き的にもチャラさから卒業してほしい。秘書としてそう思う。

「ほら、また眉間に皺寄ってるよ」

専務は目を細めて笑う。

「眉間に皺が寄るようなことを言わないでください」

溜息が出そうになるのを飲み込み、そう答える。

「安西さんには会えなかったけど、お兄さんのお店の料理気に入ったんだ」

「え、ありがとうございます」

お店の料理を褒められるのは嬉しい。思わず声がワントーン上がる。

嬉しい気持ちを抑え、時間の確認をするためシルバーの腕時計を見る。

「専務、そろそろお時間です」

午後も予定が詰まっている。そろそろ会社に戻った方がいいだろう。

専務のお姉さん夫婦に挨拶をし、店を後にした。

私が専務の少し後ろを歩いていると不意に専務が後ろを振り返った。

「安西さん、はい」

専務の顔から視線を下げると、名刺が私の方に差し出されていた。

意味がわからないながらも名刺を受け取る。

「名刺、もしかして印刷ミスがありましたか?」

名刺は私も間違いがないか確認したはず。それでも印刷ミスがあれば非常に困る。
午前中に取引先で渡したはずだ。

私は渡された名刺を食い入るように見た。

「ミスはないよ。裏を見て」

「裏?」

私は専務に言われた通り名刺の裏を見た。
そこには手書きで090から始まる数字が黒いペンで書かれていた。

「俺のプライベートの携帯番号。安西さんのスマホに登録しておいて」

それだけを言うとまた専務は歩き始めた。

「承知しました」

渡された名刺をバッグに入れる。

プライベートの携帯番号…仕事用の携帯電話が繋がらない時はプライベートにかけてということだろうか。

そう解釈しながら、専務の後ろを早歩きで追いかけた。
< 11 / 49 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop