最低なのに恋をした
室長の目尻が下がり、口元に笑みが溢れた。
「さあ、戻りましょう」

室長が立ち上がる。

「はい」

私も慌ててそれに続く。

「私は広報と打ち合わせをします。安西さんは専務に連絡をとってください。社内会議が始まっていること、専務を狙う動機は女性関係らしいことを伝えてください」

「承知しました」

室長の後ろについて応接室を出る。

「室長、最近の専務には女性の影は見えません」

私が見ている専務は、女性と遊ぶ時間があるようには見えない。
先日の専務のマンションからも女性を連れ込んでいる雰囲気は感じられなかった。

「わかりました」

室長は足を止め、私の方を見ずに短く返事をした。

私が秘書室に戻るとすぐに、犯人が確保されたという連絡が入ってきた。
怪我人もいないという。

ホッとして足の力が抜けそうになるのをグッと踏ん張る。

私は室長の指示通り専務に電話をする。

自分の机からではなく、応接室に移動し自分の会社用の携帯電話から専務の会社用の携帯電話にかけた。

トゥルルル1回目の呼び出し音の途中で専務の
「はい」という声がした。

「安西です。犯人が確保されました」

「そう。怪我人は?」

「怪我人はいません。専務は車ですか」

会社の地下駐車場の役員専用の車にいると私の会社用の携帯電話にメールが届いていた。

「ああ。村田も一緒にいる」

村田というのは今日の同行者だ。

「承知しました。社内会議ですが今役員が出席し行われています」

「…そう」

「あと、ですね。犯人は専務に「女を取られた」と叫んでいたそうです」

出来るだけ淡々と告げる。

「そう」

感情のこもっていない短い返事が通話口から聞こえる。

「専務、室長の指示が出たらすぐに地下駐車場にお迎えにあがりますね」

「うん」

専務の気持ちが携帯の通話口からの声では伝わってこない。

私は早く専務の顔が見たいと思った。

落ち込んでいるならフォローしたい。
怒っているなら宥めてあげたい。
そして、専務の言い分を聞きたい。
たとえ「最低エピソード」が飛び出したとしても。


男の確保から1時間ほど経ち、社内は落ち着きを取り戻しはしていないが、私は地下駐車場に向かっていた。
専務はこの後、警察から事情を聞かれる。
私も立ち会う予定だ。

地下駐車場の一角に役員用の社用車が停めてある。
近づくと専務専属の運転手の斉藤さんが運転席に座っていた。
斉藤さんは私に気がつき、外に出て専務が座っている側のドアを開けた。

「斉藤さん、お疲れさまです」
斉藤さんに声をかける。

「安西さんもお疲れ様です」

斉藤さんは40代後半のベテラン運転手だ。室長と仲が良いと噂で聞いたので、専務の味方と思っていいのだろうか。

「専務、安西さんがいらっしゃいました」
斉藤さんが車内の専務に声をかけた。

「ありがとう」

専務は斉藤さんに礼を言って車から降りた。
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