最低なのに恋をした
そんな悔しさからか、私は専務の唇にキスをした。深いキスは…しないけど。チュッとお返しだ。

専務はビックリした表情を浮かべている。
その顔に私の気持ちは満足した。

「いってきます、のキス。です。」

そう言ってからものすごい羞恥心に襲われてしまい顔がますます赤くなるのがわかる。

熱い…「それでは」と顔が赤いまま方向転換し私は玄関に急いだ。


そんな甘いのか初々しいのかよくわからない朝のやりとりをしていたのに。

事件はその日の就業後におきた。

私は仕事を終え、専務とまだ残っていた同僚に挨拶をし会社を出た。

会社の入り口は蛍光灯の灯りで明るいが、歩道は暗く街灯がオレンジ色にキラキラ光っていた。

「安西…美月さん」
会社の前で私の呼ぶ女性の声がして振り返った。

そこには私よりも年上に見える、黒髪のセミロングの女性が立っていた。
ここは会社の前だ。私を待っていたのだろう。
でも、私には見覚えがなかった。

黒髪の女性の表情は青白く、怒りと悲しみが滲み出ていた。

“危険だ”私は危機を感じ、会社のドアを手にとり思い切り引っ張り、急いで中に入った。

「あなたのせいで」
後ろで声がするのが微かに聞こえた。

ロビーにはまだ社員が残っていた。私は警備員さんを確認しそちらの方へ走ろうとした。

「きゃー」と悲鳴が上がり後ろを振り返る。
刃物らしきものを振り上げた先程の女性がキョロキョロしながら周りを見ている。そして私と目が合ったかと思うと、カッと目を見開き私に向かって走ってきた。

ヤバい…全てがスローモーションに感じ“刺される”と頭の中で冷静に現状を分析している。

迫ってくる女性から逃げようにも体が動かず、私はギュッと目をつぶってしゃがみ込んでいた。

「安西さん」
肩を揺すられハッとした。
どこも痛くない。

恐る恐る上を見上げるとそこには専務の顔があった。

すごく長く感じたがまだ数分しか経っていないのだろう。

「その女のせいで私は捨てられたんだー」
大声で騒いでいる声の方を見る。

私に襲いかかろうとしていた女性は、近くにいた男性社員と警備員に取り押さえられ、刃物も取り上げられていた。

「海斗は私と付き合っていたのにー」

大声で叫ぶその声が「海斗」とハッキリ言うのが聞こえた。

ハッとした。私は立ち上がり「専務」と小声で言う。
「専務室にお戻りください」

取り押さえている社員、それ以外にもロビーには残っている社員に聞かれたくはない。

私が狙われたキッカケは専務なのだという事は女性の言葉から察する事ができてしまう。

なぜ私の名前を知っているのか、とか交際していると言っても忙しすぎてデートらしいデートはしていないのに、私と専務の関係を匂わせる言葉。

夜、ご飯を一緒に食べる時は決まって専務のお姉さんのお店だ。そこまで目撃される機会もない。

疑問は湧いてくるが、まずは専務をここから退避させたい。
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