誘惑の延長線上、君を囲う。
「アパートの契約更新がもうすぐって言ってたから丁度良いタイミングじゃないか?」

「そんな事言った?」

「言ってたよ、居酒屋で」

居酒屋か……、言ったような言ってないような、思い出せないけれど、何かの話の合間に話したのかもしれない。私はほろ酔い気味で、日下部君が話した内容は覚えているけれど、それに合わせて自分が話した内容は思い出せなかった。日下部君が話してくれた事は覚えていたいからこそ、自分の話した内容は何処かに消えてしまったのだろう。

「佐藤は明日休みでしょ?夜は予定ある?」

「予定……?ないよ」

「夜に店まで迎えに来る。その時までに考えておいて」

急展開過ぎて、頭が混乱中。日下部君と私が一緒に住むの?今日もまたお迎えに来てくれるの?私は顔に嬉しさと驚きが滲み出てしまい、知らず知らずニヤケてしまう。日下部君に背中を向けて顔を両手で覆い隠すけれど、顔の緩みが止まらない。

「おはようございま、……佐藤さん、何してるんですか?あれ?日下部さん、おはようございます」

美鈴ちゃんが出勤して来て、私達をジロジロと見ては微笑んでいる。私は動揺が止まらないが、日下部君は普段通りにしれっとした挨拶をして何気ない顔つきでPCで作業を続けている。

日下部君が店舗を後にして、美鈴ちゃんと二人きりになった時に根掘り葉掘り聞かれたが、話せる事は何もなく、コーヒーをいれてあげたとだけ伝えた。納得のいかない美鈴ちゃんは、「今度、部長が来た時に直接聞こう、っと」と言って私を茶化した。

年下にからかわれるアラサー女の私だが、美鈴ちゃんが想像している可愛らしい恋愛話じゃない。若くて可愛い貴方には理解不可能な領域の話だったりもする。
< 50 / 180 >

この作品をシェア

pagetop