誘惑の延長線上、君を囲う。
日下部君はズルい。私だけが特別みたいな言い方をして、持ち上げる。

「そんな訳で一緒に住むのも決まりでいいよな?」

私はまたしばらく黙っていた。信号待ちで止まった時に日下部君は私の方を見て、そう告げた。この人、一緒に住む事とお互いに結婚相手になった事に対して、重く受け止めていないのかな?私には簡単に考えているようにしか思えない。私は舞い上がる気持ちと同時に不安もあって、落ち着かない。助手席に座っていても、そわそわしてしまい、日下部君に不審がられている。

「……飯、食べに行く?どこが良い?」

「どこでも良い……」

「何だよ、元気がなくて、いつもの佐藤じゃないな。何かあった?」

何かあった?って、貴方のせいでしょ。貴方の行動と言動に一喜一憂してるんだよ。

「気晴らしにレイトショーでも見に行ってから、飯にする?明日、休みなんだから付き合ってよ」

「……本当に勝手ね」

「いいじゃん、そのうち結婚するかもしれないんだし。デートらしい、デートしよう」

私は理解不可能な領域に足を踏み入れた。日下部君が何を考えているのか不明瞭だから、今後、どうなって行くのかも想像がつかない。手に入らなくて藻掻いていた物が、一気に手の内に収まる感覚が怖くて堪らない。手に入ったら、後は手放すだけだから……。
< 56 / 180 >

この作品をシェア

pagetop