お嬢様は恋したい!
何回か席をシャッフルしたあげく、一番隅で隣に川田さんが落ち着くと小声で話しかけてきた。
「まだ合コンで、もたもたしているんですねぇ。約束まで2ヶ月になりましたけど。」
「余計なお世話よ。ちゃんと仕事もできる女になってから、始めたからまだ合コン2回目よ。」
「そうなんですか。1回目で失敗して、2回目は私と話してばかり…期待薄いですね。」
「その残念な子を見る目はやめてよ。それにたまたま高階商事までは許せるけど、なんで川田さんがいるんだか。」
「私は人数合わせで、たまたま社長の会食がなかったから今日、参加が決まったんですよ。」
確かに川田さんは、お父様の秘書だから会食があると夜まで付き合ったりしているのよね。
「何、なに?ここはカップル成立?」
勝山さんの彼氏で今日の男性側幹事の柴原さんが横に座って来た。
「絶対にありません。」
「絶対にない。」
ほとんど同じタイミングで返事をしていた。
「息ぴったりじゃない。高橋さん、こいつ俺の同期なんだけど、社長秘書でね。有望株だよ。」
社長秘書なのは、よーく知ってます。
お父様のお気に入りで、結構社長に対して毒舌だけど許されるくらいの有望株さんですねぇ。
私に笠松さんの話がなければ、この人は候補になったかもしれないと言うのも知っていますよ。
でもねぇ。普段被っている猫が、私の前では消えているから、苦手だったのよ。
「私にも選ぶ権利はあります。」
「それは、こちらのセリフです。」
私たちの掛け合いに柴原さんは、驚いている。
「川田。お前、結構高橋さんとお似合いだよ。これだけ素を出してるの、珍しいな。」
どうも柴原さんの中では、私たちはカップル成立らしい。
嫌なんだけど!
店を出て、二次会はどうするのかと聞こうと思ったが、浅田さんも島本さんも他のお二人といい感じになって別行動だと言うし、勝山さんと柴原さんは、お付き合いしているから一緒に帰るようだ。
「川田、高橋さんをちゃんと送るんだぞ。」
「わかった。」
と言いつつ迷惑そうなのが、顔に出ていますよーだ。
別にここから電車で帰れるから送らなくていいわよ。
「合コン来たのに、お嬢様のお守りかぁ。」
「ひとりで帰れるわよ。」
「そうも行かない。これで帰りに何かあったらお嬢様のせいで私の出世に響く。」
「あ、そう。」
「ただ、送る前にそこのカフェでコーヒーを飲んで行かないか。」
「川田さんの奢りなら。」
「今後の確認もしたいから、ご馳走します。」
「じゃあ、行きましょう。」
カフェに入ると私に席を勧め、川田さんは、レジに並びに行ってくれた。
「カフェラテで良かったですよね。」
「ありがと。」
注文を聞いていないのに私の好みまで把握しているあたり、優秀なんだよね。
ただあなたが、私の好みでないだけで。
「さて、お嬢様。進捗状況を伺っても?」
「合コンで見つけてないのは、丸わかりでしょ。今、あなたとここにいるんだから。」
「そうですね。しかし、まぁ…すっかり庶民ぽくなりましたね。お嬢様と近しい者じゃなければ、あなたが高階香子だと気付かないでしょうね。」
「そうね。あなたが近しい者に入るかは、悩むけど。」
「そのくらいの方が、これから苦労しませんよ。いままでは世間知らず過ぎたんですから。」
「まぁ、あなたのおかげで結婚前にいい経験ができているわね。」
「まだ諦めていませんか。」
「もちろんよ。あと2ヶ月もあるんだから。」
「たった2ヶ月で結婚に漕ぎ着ける相手がいるといいですね。11月30日には戻られるのは確定でいいですよね。ひとりかふたりかは、あなた次第ですが。」
「わかっているわよ。ところでお父様は元気?」
「お嬢様に会えないから、寂しがっていますよ。」
「お嫁に行けば、同じなのに。」
「そこは社長、分かっていないんですよ。なんたって社長ですから。」
「相変わらず、はっきり言うわね。」
久しぶりに家族の話をして、楽しい気分になれた。
「そろそろ送ります。」
「送るとびっくりするわよ。私の住んでいる寮は、古〜いから。」
「それは、楽しみですね。」
たわいのない話をしながら、寮の最寄り駅に着くと駅のベンチに座る大柄な人が目に入った。
「鈴木主任…」
私の声に気付いて、その人がスマホから顔を上げる。
「香、遅かったな…その人は?」
私の隣にいる川田さんに気付いて、目付きが鋭くなる。
「今日の合コンで…」
「そっか。今日、俺が直帰で約束出来なかったから夕飯、誘おうと思ってアパート来たけど留守だったから駅で待っていたんだ。まぁ、なんだ。俺は用がなかったって事だな。」
少し寂しそうに見えるのは、気のせい?
「お、香さん。お知り合いですか。」
川田さんに聞かれて答えた。
「同じ職場の上司で、お世話になっている方です。」
そう、主任のことを説明するとしたら、それだけしかない。
「それじゃ私はここで失礼します。香さんに御用のようですし。」
「ありがとう。川田さん。」
「健闘を祈ります。」
何かを察したのか川田さんは、私に聞こえるギリギリの小声で告げると鈴木主任に私を託して、次の電車で帰って行った。
「良かったのか、さっきの人。」
「大丈夫です。夜道が危ないから送ってくれただけで、約束とかしていませんから。」
違う意味では約束しているようなものだけど、それは言えない話だし。
「そっか…メシ…は合コンじゃ食って来たよな。」
「そ、そうですね。」
「まぁいいや。送るよ。」
鈴木主任との距離感が難しい。
妹ポジ?ただの同僚?
本当はこの人の彼女になりたい…
私…たぶん合コン重ねても結婚したい人なんて、見つけられないや。
だって、鈴木主任が好きなんだもの。
諦めよう、気持ちに蓋しようと誤魔化していたけど、この1ヶ月で膨れあがった好きっていう気持ちに嘘がつけない。
そんな私が他の人を好きになれるはずがなかったんだ。
馬鹿よね。こんなんじゃ誰に対しても失礼よね。
「なぁ、合コン行ってきたって事は陸は知っているのか。」
「はい。陸斗さんには話しました。まだお試し中だし、陸斗さんよりいい人がいれば、それはそれって…」
「何言ってんだよ、あいつ。去る者は追わずにも程がある。」
「でも奥様…亜季さんでしたっけ。ものすごく未練タラタラですよ。」
私の言葉に鈴木主任がびっくりした顔になった。
「は?あいつ、香にそんな話しているの。」
「陸斗さん、私には取り繕わないですね。お互い二番目なんで。」
私がそう言うと鈴木主任の機嫌があからさまに悪くなった。
「二番目ってどういうこと。陸は軽いとこあるけど、いいやつだと思っているから香と仲良くなってもいいかと思っていたのに。」
「私…好きな人がいるんです。」
「えっ。それじゃ、なんで…」
「その人には大切な女性がいるみたいで…出会うのが遅かったんです。」
ふわっと鈴木主任に抱きしめられた。
「そっか、辛いな。だったら無理に合コンしたり陸と付き合うんじゃなく、ちゃんと気持ちと折り合いをつけてから、次のこと、考えればいいんじゃないか。俺も少しは力になるぞ。」
あなたなのに…
あなたです。鈴木主任。
そう言ってしまいたいけれど、いまここで言ってしまったら、気不味くて今までのようにそばに行くことさえ、敵わなくなる。
そう考えて。にこりと笑いごまかした。
「そんな事言うと甘えちゃいますよ。」
「俺にいくらでも頼っていいからな。」
私の事、なんとも思っていないなら、優しくしないで。
心と口をつく言葉が、まるっきり逆ね。
離れた方が、こっぴどく振られた方が楽になれると分かっている。
でも、どんなポジションでも、あと2ヶ月だけだからそばにいたい。
私は前に進むために最後の日に告白しようと決めた。
それまでは仕事のパートナーとして、妹みたいな存在として、鈴木主任の近くに居座ろう。
もう合コンも陸斗さんも断って、あなたとの時間を大切にする。
「じゃあ、他に好きな人が出来るまで、気持ちに余裕ができるまで、鈴木主任。私のお世話、よろしくお願いします。」
「お、おう。」
7
それからは、気持ちに気付かれないようにしながら、鈴木主任に仕事ではちゃんとパートナーとして認められるように、ランチや仕事が終わった後は仲の良い妹のように振舞っている。
目を逸らさないようになって気付いたのは、鈴木主任は毎週火曜日と土曜日にご飯に誘ってくれないということだ。
きっと彼女さんの都合で、その日にしか会えないのだろう。
火曜日は、営業先に失礼にならない程度にラフな鈴木主任が、もう帰るだけの時間にピシッとスーツを着こなしている。
土曜日は、私が誘っても都合が悪くてごめんといつも断られた。
彼女さんには、私の事をなんて言っているんだろう。
ほっとけない妹みたいな子?
彼女さんに乗り込まれたら、私は気持ちを誤魔化すのかな。
私だって好きなんです。
片想いだけどって言うのかな。
仕事も忙しくなって来たこともあり、あっという間に10月が終わりに近づいた。
鈴木主任も外勤が増えて、下手をすると2日顔を見ない日もある。
「はい、黒川工業営業課、高橋が承ります。」
いつものように電話を取ると陸斗さんの声がした。
『香ちゃん、内線だよ。僕だけど今日夜、話があるからご飯行かないか。』
「り…は、はい。かしこまりました。」
周りに浅田さん達がいるから、陸斗さんの名前も出せず、なんとか誤魔化した。
『それじゃ、終業後に地下駐車場で待ってるよ。』
鈴木主任への気持ちをはっきり自覚してからも陸斗さんは、何度か食事に誘ってくれているが、行く時は2人きりではなく、いつも鈴木主任と3人だった。
でも今日は火曜日だから鈴木主任は来ないはず。
考えてみれば、陸斗さんともゆっくり会うのは、二週間ぶりだ。
何の話なんだろう。
駐車場には、水族館デートの時に乗った車が待っていた。
陸斗さんが運転席のドアにもたれていて、やはり鈴木主任はいないようだ。
「ごめんねぇ。あれからちょっと状況が変わっちゃって…とにかくちゃんと話したいから、ご飯行こう。」
「は、はい。」
陸斗さんが連れて来てくれたのは、普段3人だったら行かないホテルのダイニング。
ちゃんと予約してあったらしく、個室に通された。
「ねぇ。香ちゃんって、こういう料理食べ慣れてるよね?」
ひと通り食事を終え、後はコーヒーとデザートを待つ段になって陸斗さんが言って来た。
「そ、そんな事ないですよ。」
「そっか…まぁ、そう言うならそうかもしれないけど。あのね、正社員になる気はある?」
「陸斗さん、急にどうしたんですか。」
「僕が香ちゃんと付き合うとか出来なくなったから、香ちゃんの生活基盤を別の方法で良くする提案?」
「あ、あの付き合うって話は、もういいです。」
「いいの?」
「私、振り向いてもらえなくても好きでいるって決めたんです。」
「一誠には言わないの?」
「やっぱり陸斗さんには、私が好きなの鈴木主任だとバレてましたか。」
「最初は、どうかなと思っていたけど、ここのところ香ちゃんから、気持ちだだ漏れだったからね。ただ一誠は、鈍感だから気付いてないっぽいけど。」
「困らせたくないし、ギクシャクしたくないから妹ポジで甘んじてます。」
「それで正社員になるなら、試験のチャンスを…」
「陸斗さん。私、あと1ヶ月で派遣期間終わるので、それまででいいです。」
「一誠の側にいるのは、辛い?」
「まぁ…他にも理由がありまして。ところで陸斗さんの方の事情は教えてもらえるんですか。」
「それがね。いま亜季が具合悪くてさ。亜季の家で紗季の世話しているんだ。」
「亜季さんは大丈夫なんですか?今日だって…」
「今日は大事な用事があるからって、亜季の母親に来てもらっているんだ。まぁ悪阻なんだけど。」
「えっ?亜季さんにそんな相手がいるなら具合悪いからって、亜季さんのいる場所で紗季ちゃんの世話するのは…」
「まぁ、ふたりが心配だからってのもあるんだけど違うんだ。いや、違わないんだけど…」
「まさか…」
「ちょっと前に久しぶりにいい感じになって…まぁ僕の子に間違いないってお互いわかっているから、再婚を近いうちにする事になって…
なんか香ちゃんの手助けが出来なくて申し訳ない。」
「良かったじゃないですか。陸斗さんは、これから亜季さんと紗季ちゃんと赤ちゃんを幸せにしなきゃいけないですよ。」
ガバッと頭を下げる陸斗さんに私はエールを送った。
翌日は鈴木主任が、忙しいさなかなのにご飯に誘ってくれた。
連れて行ってくれたのは、オレンジ色の看板が目印の牛丼チェーン店。
「牛丼、並盛と特盛。」
鈴木主任は私にメニューを確認することなく注文する。
奢っていただく方だから、文句はないけどメニューを確認するくらい女の子はして欲しいわけで。
「ごめん。食べたらまた会社戻るから。」
ちょっと拗ねたかったけど、時間がないのにわざわざ私とご飯を食べてくれるし、毎回奢ってくれているから結構な額になっているのも思い出したら何も言えないね。
「時間ないならテイクアウトで良かったですよね。」
「陸から話を聞いたから、香が心配で顔を見て話したかった。」
まさか陸斗さん、私の気持ちを言ったりしてないよね。
「お試し交際とは言え、付き合っていた陸が元妻との子供作って復縁なんて納得いかないだろ。」
そうでした。
「陸斗さんは、亜季さんと紗季ちゃんと幸せになるべきですよ。」
「お前、優しすぎるよ。」
牛丼屋のカウンターで頭を撫でられる午後7時。
「まだ合コンで、もたもたしているんですねぇ。約束まで2ヶ月になりましたけど。」
「余計なお世話よ。ちゃんと仕事もできる女になってから、始めたからまだ合コン2回目よ。」
「そうなんですか。1回目で失敗して、2回目は私と話してばかり…期待薄いですね。」
「その残念な子を見る目はやめてよ。それにたまたま高階商事までは許せるけど、なんで川田さんがいるんだか。」
「私は人数合わせで、たまたま社長の会食がなかったから今日、参加が決まったんですよ。」
確かに川田さんは、お父様の秘書だから会食があると夜まで付き合ったりしているのよね。
「何、なに?ここはカップル成立?」
勝山さんの彼氏で今日の男性側幹事の柴原さんが横に座って来た。
「絶対にありません。」
「絶対にない。」
ほとんど同じタイミングで返事をしていた。
「息ぴったりじゃない。高橋さん、こいつ俺の同期なんだけど、社長秘書でね。有望株だよ。」
社長秘書なのは、よーく知ってます。
お父様のお気に入りで、結構社長に対して毒舌だけど許されるくらいの有望株さんですねぇ。
私に笠松さんの話がなければ、この人は候補になったかもしれないと言うのも知っていますよ。
でもねぇ。普段被っている猫が、私の前では消えているから、苦手だったのよ。
「私にも選ぶ権利はあります。」
「それは、こちらのセリフです。」
私たちの掛け合いに柴原さんは、驚いている。
「川田。お前、結構高橋さんとお似合いだよ。これだけ素を出してるの、珍しいな。」
どうも柴原さんの中では、私たちはカップル成立らしい。
嫌なんだけど!
店を出て、二次会はどうするのかと聞こうと思ったが、浅田さんも島本さんも他のお二人といい感じになって別行動だと言うし、勝山さんと柴原さんは、お付き合いしているから一緒に帰るようだ。
「川田、高橋さんをちゃんと送るんだぞ。」
「わかった。」
と言いつつ迷惑そうなのが、顔に出ていますよーだ。
別にここから電車で帰れるから送らなくていいわよ。
「合コン来たのに、お嬢様のお守りかぁ。」
「ひとりで帰れるわよ。」
「そうも行かない。これで帰りに何かあったらお嬢様のせいで私の出世に響く。」
「あ、そう。」
「ただ、送る前にそこのカフェでコーヒーを飲んで行かないか。」
「川田さんの奢りなら。」
「今後の確認もしたいから、ご馳走します。」
「じゃあ、行きましょう。」
カフェに入ると私に席を勧め、川田さんは、レジに並びに行ってくれた。
「カフェラテで良かったですよね。」
「ありがと。」
注文を聞いていないのに私の好みまで把握しているあたり、優秀なんだよね。
ただあなたが、私の好みでないだけで。
「さて、お嬢様。進捗状況を伺っても?」
「合コンで見つけてないのは、丸わかりでしょ。今、あなたとここにいるんだから。」
「そうですね。しかし、まぁ…すっかり庶民ぽくなりましたね。お嬢様と近しい者じゃなければ、あなたが高階香子だと気付かないでしょうね。」
「そうね。あなたが近しい者に入るかは、悩むけど。」
「そのくらいの方が、これから苦労しませんよ。いままでは世間知らず過ぎたんですから。」
「まぁ、あなたのおかげで結婚前にいい経験ができているわね。」
「まだ諦めていませんか。」
「もちろんよ。あと2ヶ月もあるんだから。」
「たった2ヶ月で結婚に漕ぎ着ける相手がいるといいですね。11月30日には戻られるのは確定でいいですよね。ひとりかふたりかは、あなた次第ですが。」
「わかっているわよ。ところでお父様は元気?」
「お嬢様に会えないから、寂しがっていますよ。」
「お嫁に行けば、同じなのに。」
「そこは社長、分かっていないんですよ。なんたって社長ですから。」
「相変わらず、はっきり言うわね。」
久しぶりに家族の話をして、楽しい気分になれた。
「そろそろ送ります。」
「送るとびっくりするわよ。私の住んでいる寮は、古〜いから。」
「それは、楽しみですね。」
たわいのない話をしながら、寮の最寄り駅に着くと駅のベンチに座る大柄な人が目に入った。
「鈴木主任…」
私の声に気付いて、その人がスマホから顔を上げる。
「香、遅かったな…その人は?」
私の隣にいる川田さんに気付いて、目付きが鋭くなる。
「今日の合コンで…」
「そっか。今日、俺が直帰で約束出来なかったから夕飯、誘おうと思ってアパート来たけど留守だったから駅で待っていたんだ。まぁ、なんだ。俺は用がなかったって事だな。」
少し寂しそうに見えるのは、気のせい?
「お、香さん。お知り合いですか。」
川田さんに聞かれて答えた。
「同じ職場の上司で、お世話になっている方です。」
そう、主任のことを説明するとしたら、それだけしかない。
「それじゃ私はここで失礼します。香さんに御用のようですし。」
「ありがとう。川田さん。」
「健闘を祈ります。」
何かを察したのか川田さんは、私に聞こえるギリギリの小声で告げると鈴木主任に私を託して、次の電車で帰って行った。
「良かったのか、さっきの人。」
「大丈夫です。夜道が危ないから送ってくれただけで、約束とかしていませんから。」
違う意味では約束しているようなものだけど、それは言えない話だし。
「そっか…メシ…は合コンじゃ食って来たよな。」
「そ、そうですね。」
「まぁいいや。送るよ。」
鈴木主任との距離感が難しい。
妹ポジ?ただの同僚?
本当はこの人の彼女になりたい…
私…たぶん合コン重ねても結婚したい人なんて、見つけられないや。
だって、鈴木主任が好きなんだもの。
諦めよう、気持ちに蓋しようと誤魔化していたけど、この1ヶ月で膨れあがった好きっていう気持ちに嘘がつけない。
そんな私が他の人を好きになれるはずがなかったんだ。
馬鹿よね。こんなんじゃ誰に対しても失礼よね。
「なぁ、合コン行ってきたって事は陸は知っているのか。」
「はい。陸斗さんには話しました。まだお試し中だし、陸斗さんよりいい人がいれば、それはそれって…」
「何言ってんだよ、あいつ。去る者は追わずにも程がある。」
「でも奥様…亜季さんでしたっけ。ものすごく未練タラタラですよ。」
私の言葉に鈴木主任がびっくりした顔になった。
「は?あいつ、香にそんな話しているの。」
「陸斗さん、私には取り繕わないですね。お互い二番目なんで。」
私がそう言うと鈴木主任の機嫌があからさまに悪くなった。
「二番目ってどういうこと。陸は軽いとこあるけど、いいやつだと思っているから香と仲良くなってもいいかと思っていたのに。」
「私…好きな人がいるんです。」
「えっ。それじゃ、なんで…」
「その人には大切な女性がいるみたいで…出会うのが遅かったんです。」
ふわっと鈴木主任に抱きしめられた。
「そっか、辛いな。だったら無理に合コンしたり陸と付き合うんじゃなく、ちゃんと気持ちと折り合いをつけてから、次のこと、考えればいいんじゃないか。俺も少しは力になるぞ。」
あなたなのに…
あなたです。鈴木主任。
そう言ってしまいたいけれど、いまここで言ってしまったら、気不味くて今までのようにそばに行くことさえ、敵わなくなる。
そう考えて。にこりと笑いごまかした。
「そんな事言うと甘えちゃいますよ。」
「俺にいくらでも頼っていいからな。」
私の事、なんとも思っていないなら、優しくしないで。
心と口をつく言葉が、まるっきり逆ね。
離れた方が、こっぴどく振られた方が楽になれると分かっている。
でも、どんなポジションでも、あと2ヶ月だけだからそばにいたい。
私は前に進むために最後の日に告白しようと決めた。
それまでは仕事のパートナーとして、妹みたいな存在として、鈴木主任の近くに居座ろう。
もう合コンも陸斗さんも断って、あなたとの時間を大切にする。
「じゃあ、他に好きな人が出来るまで、気持ちに余裕ができるまで、鈴木主任。私のお世話、よろしくお願いします。」
「お、おう。」
7
それからは、気持ちに気付かれないようにしながら、鈴木主任に仕事ではちゃんとパートナーとして認められるように、ランチや仕事が終わった後は仲の良い妹のように振舞っている。
目を逸らさないようになって気付いたのは、鈴木主任は毎週火曜日と土曜日にご飯に誘ってくれないということだ。
きっと彼女さんの都合で、その日にしか会えないのだろう。
火曜日は、営業先に失礼にならない程度にラフな鈴木主任が、もう帰るだけの時間にピシッとスーツを着こなしている。
土曜日は、私が誘っても都合が悪くてごめんといつも断られた。
彼女さんには、私の事をなんて言っているんだろう。
ほっとけない妹みたいな子?
彼女さんに乗り込まれたら、私は気持ちを誤魔化すのかな。
私だって好きなんです。
片想いだけどって言うのかな。
仕事も忙しくなって来たこともあり、あっという間に10月が終わりに近づいた。
鈴木主任も外勤が増えて、下手をすると2日顔を見ない日もある。
「はい、黒川工業営業課、高橋が承ります。」
いつものように電話を取ると陸斗さんの声がした。
『香ちゃん、内線だよ。僕だけど今日夜、話があるからご飯行かないか。』
「り…は、はい。かしこまりました。」
周りに浅田さん達がいるから、陸斗さんの名前も出せず、なんとか誤魔化した。
『それじゃ、終業後に地下駐車場で待ってるよ。』
鈴木主任への気持ちをはっきり自覚してからも陸斗さんは、何度か食事に誘ってくれているが、行く時は2人きりではなく、いつも鈴木主任と3人だった。
でも今日は火曜日だから鈴木主任は来ないはず。
考えてみれば、陸斗さんともゆっくり会うのは、二週間ぶりだ。
何の話なんだろう。
駐車場には、水族館デートの時に乗った車が待っていた。
陸斗さんが運転席のドアにもたれていて、やはり鈴木主任はいないようだ。
「ごめんねぇ。あれからちょっと状況が変わっちゃって…とにかくちゃんと話したいから、ご飯行こう。」
「は、はい。」
陸斗さんが連れて来てくれたのは、普段3人だったら行かないホテルのダイニング。
ちゃんと予約してあったらしく、個室に通された。
「ねぇ。香ちゃんって、こういう料理食べ慣れてるよね?」
ひと通り食事を終え、後はコーヒーとデザートを待つ段になって陸斗さんが言って来た。
「そ、そんな事ないですよ。」
「そっか…まぁ、そう言うならそうかもしれないけど。あのね、正社員になる気はある?」
「陸斗さん、急にどうしたんですか。」
「僕が香ちゃんと付き合うとか出来なくなったから、香ちゃんの生活基盤を別の方法で良くする提案?」
「あ、あの付き合うって話は、もういいです。」
「いいの?」
「私、振り向いてもらえなくても好きでいるって決めたんです。」
「一誠には言わないの?」
「やっぱり陸斗さんには、私が好きなの鈴木主任だとバレてましたか。」
「最初は、どうかなと思っていたけど、ここのところ香ちゃんから、気持ちだだ漏れだったからね。ただ一誠は、鈍感だから気付いてないっぽいけど。」
「困らせたくないし、ギクシャクしたくないから妹ポジで甘んじてます。」
「それで正社員になるなら、試験のチャンスを…」
「陸斗さん。私、あと1ヶ月で派遣期間終わるので、それまででいいです。」
「一誠の側にいるのは、辛い?」
「まぁ…他にも理由がありまして。ところで陸斗さんの方の事情は教えてもらえるんですか。」
「それがね。いま亜季が具合悪くてさ。亜季の家で紗季の世話しているんだ。」
「亜季さんは大丈夫なんですか?今日だって…」
「今日は大事な用事があるからって、亜季の母親に来てもらっているんだ。まぁ悪阻なんだけど。」
「えっ?亜季さんにそんな相手がいるなら具合悪いからって、亜季さんのいる場所で紗季ちゃんの世話するのは…」
「まぁ、ふたりが心配だからってのもあるんだけど違うんだ。いや、違わないんだけど…」
「まさか…」
「ちょっと前に久しぶりにいい感じになって…まぁ僕の子に間違いないってお互いわかっているから、再婚を近いうちにする事になって…
なんか香ちゃんの手助けが出来なくて申し訳ない。」
「良かったじゃないですか。陸斗さんは、これから亜季さんと紗季ちゃんと赤ちゃんを幸せにしなきゃいけないですよ。」
ガバッと頭を下げる陸斗さんに私はエールを送った。
翌日は鈴木主任が、忙しいさなかなのにご飯に誘ってくれた。
連れて行ってくれたのは、オレンジ色の看板が目印の牛丼チェーン店。
「牛丼、並盛と特盛。」
鈴木主任は私にメニューを確認することなく注文する。
奢っていただく方だから、文句はないけどメニューを確認するくらい女の子はして欲しいわけで。
「ごめん。食べたらまた会社戻るから。」
ちょっと拗ねたかったけど、時間がないのにわざわざ私とご飯を食べてくれるし、毎回奢ってくれているから結構な額になっているのも思い出したら何も言えないね。
「時間ないならテイクアウトで良かったですよね。」
「陸から話を聞いたから、香が心配で顔を見て話したかった。」
まさか陸斗さん、私の気持ちを言ったりしてないよね。
「お試し交際とは言え、付き合っていた陸が元妻との子供作って復縁なんて納得いかないだろ。」
そうでした。
「陸斗さんは、亜季さんと紗季ちゃんと幸せになるべきですよ。」
「お前、優しすぎるよ。」
牛丼屋のカウンターで頭を撫でられる午後7時。