愛犬をかわいがっていると、幼馴染の機嫌が悪い
1話完結
「凪(なぎ)、おはよ!」
早朝、登校中の俺、佐倉(さくら) 凪(なぎ)の肩を、幼馴染の白石(しらいし) 茜(あかね)が軽くたたく。
「あ、茜(あかね)、おはよう」
背中まで伸びた、きめ細かな艶めく黒髪。小動物のような、くりっとした目。そして高校に入ってから覚えた化粧をうっすらとした、かわいらしい笑顔。
小学生から高1の今まで何度も見てきた、そのはにかんだ笑みであったが、どんどん綺麗になっていくのを感じた。
いつからか、なんて細かいことは覚えていないが、俺は茜(あかね)のことが好きだった。
「わんこ、来たよ!」
「お、ついにか!」
茜(あかね)はずっと飼いたかった犬を、やっと家で飼ってもらえることになっていたのだ。
「だから今日、うち来てね!」
「う、うん」
俺は思わず鈍い返事をする。
茜(あかね)はおそらく、男を自分の家に連れてくることにあまりハードルを感じないタイプなのだ。
いつも明るくて、ハキハキしてて、笑顔だ。
一方俺は、そういうケースにあまり慣れていないので、一瞬戸惑ってしまった。
茜(あかね)は美人なだけでなく、誰にでもそういう爽やかな性格なので、端的に言えばモテる。
俺は幼馴染でなければ、こんなに近い距離感で仲良くしていることも本来できないだろう。
「じゃ、ホームルーム終わったら呼びに行くね!」
「わかった」
俺はやっと自然に笑って、うなずく。
~~~
クラスの全員が起立し、号令をする直前、思い出したように担任が付け足す。
「あ、あと、もうすぐテスト前二週間になりますので、各自少しずつでも勉強を…………」
「なーぎーー! はやく私の家いこー!」
廊下を走ってきた茜(あかね)が大声で叫ぶ。
先生を含め、クラスのみんなが廊下にいる茜(あかね)を見つめる。
「あ…………もう、終わってたのかと…………」
クスクスと何人かが笑う中、仲の良い、隣の席の杉本が俺を肘でつつく。
「おい、凪(なぎ)。夜道には気をつけろよ…………」
「おまえなあ……」
もちろん俺と茜は、恋愛的な関係になったことは一度もない。
茜は優しいから俺に良くしてくれているが、恋愛感情を向けられたことなんて全くない。
これは俺の一方的な、長いこじれた片思いでしかないのだ。
~~~
ひたすらに、ちょっかいをかけられながら歩いたのち、茜(あかね)の家に到着する。
交流はあったものの中学は別だったので、茜(あかね)の家に遊びに来るのは小学生のころ以来だ。
幼馴染とは言え、同い年の女子の家に来るのは、さすがに緊張する。
しかも今日は、家に他に誰もいないと言う。
「びっくりするぐらい、かわいいからね!
ゴールデンレトリバーの子犬だよ!
もっふもふだからね!」
「お、おう」
子犬を見れる興奮と女子の家に入る緊張が頭の中で混ざり、どっちが興奮でどっちが緊張だか、わからなくなる。
「では、いらっしゃーい!」
茜(あかね)が玄関の扉を開ける。
「おじゃましま———うわっ!!」
玄関に入るや否や、いきなり正面から俺に向かって大きな毛玉が走ってくる。
ヘッヘッヘと舌を出して、短いしっぽをちぎれんばかりに振る子犬は、まさに天からやってきたかのようなかわいらしさだった。
優しく背中をなでると、俺の胸の中に飛び込んできた。
俺は子犬を抱きかかえ、思わずため息をもらす。
「かわええぇぇ…………」
茜(あかね)が目を細めながら、子犬の手を動かし、代わりに自己紹介をする。
「でしょー! 茶々丸だよ! よろしくね!」
「かわいぃぃ……」
無論、両方がという意味であるが、そんなことは言わない。
茶々丸をなでながら、茜(あかね)と一緒に茜(あかね)の部屋に向かう。
茜(あかね)が部屋のドアを開けると、ほんのりと甘い香りが流れてくる。
部屋のなかは白で統一され、整頓されていた。
「じゃ、ジュースとか持ってくるから座ってて!」
「あ、悪いな。適当でいいよ」
「はいはーい」
俺は茶々丸をおろし、学校のリュックを床に置く。
まじまじと見てはいけないと思い、軽くだけ部屋を見渡す。
茜(あかね)の部屋だった。
茜(あかね)がいつもここで毎日、寝たり起きたりしていると思うと、背筋が伸びる。
床にあぐらをかくと、部屋をぐるぐる回っていた茶々丸が駆け寄ってきた。
優しく抱きかかえながら背中をなでると、茶々丸は俺の顔をぺろぺろとなめる。
「よーしよしよし。お前はかわいいなあ…………」
思わず自分らしくない、とろけるような声がもれる。
すると、茜(あかね)が両手にオレンジジュースのペットボトルを持って、部屋に入って来た。
「茶々丸いるから割れたりすると危ないから、ペットボトルそのまま持ってきちゃった」
両手を顔の近くに持ち上げて、真っ白な歯をニカっと見せる茜(あかね)に俺は答える。
「最初はやっぱそういうの、気になるもんだよな」
「そっそっそ」
茜(あかね)が俺の横に座り、茶々丸の頭をなでる。
茜の肩が、俺の二の腕に当たる。
制服越しに伝わる、華奢な肩の骨の感触が、俺の胸を少しへこませた。
天真爛漫(てんしんらんまん)な茜はおそらく、俺ほど相手のことを意識していないだろう。
こいつは天然というか、そういうところをあまり考えていないような性格だ。
俺は茶々丸に目を移し、その愛嬌に再び心を奪われる。
大型犬の子犬のかわいさが強烈であることは耳にしていたが、実際に見るとこれほどとは。
百聞は一見に如かずとは、よく言ったものだ。
あぐらをかく俺の足の間に降りた茶々丸は、腹を真上に向け、犬の世界で言ういわゆる服従のポーズをとる。
俺に警戒なんて、一ミリもしていないようだ。
全く、こいつは野生に生まれなくて本当に幸運なものだ。
俺はため息をもらしながら、茶々丸の腹を両手でわしゃわしゃとなでる。
茶々丸は嬉しそうに足を動かす。
「ねえ…………」
突然、茜が俺の制服をつまむように引っ張る。
「あ、ごめんごめん。つい、かわいくて」
俺は飼い始めたばかりの子犬を独占してしまっていたことを詫び、茶々丸を抱きかかえて、茜に渡す。
「え? あ、う、うん…………」
俺は首をかしげる。
どこか合点がいかず、まだ不満そうな表情の茜に、俺もまた合点がいかなかった。
俺が横から、茜に優しくなでられる茶々丸を眺めていると、茜はこちらをまっすぐに見て、言った。
「なでる…………?」
「あ、いいのか?」
「うん」
「それじゃあ…………」
俺は茶々丸を抱きかかえ、再び全身をわしゃわしゃとなでてやる。
茶々丸は大喜びで、今にもしっぽが飛んでいきそうだ。
「凪(なぎ)はさ…………」
「ん? なんだ?」
「凪は、犬にはいつもそうなの?」
「え?」
「犬にはいつもそうやって、たくさんなでたりしてるの?」
「なんだよ、急に……」
茜はこちらを上目遣いに見つめる。
少し前に垂れた髪の間からのぞく、その表情は、どこかすねているように見える。
両目に力が入り、うっすらと口紅をぬった唇はキッと、結ばれている。
「別に、飼ってるわけじゃないから犬なんてそう会えないし、茶々丸ぐらいだよ」
「茶々丸と他の犬の話をしてるんじゃないの! 茶々丸を含めた全世界の犬と人間の話をしてるの!」
「はあ……? 全世界って何の話だよ……。
言ってる意味がよくわからないんだけど…………」
「だって、茶々丸のことは今日初めて会ったのに、そんなにかわいがってるけど、私のことは小学校からの仲なのに、そんな風にしたことないじゃない!」
茜は早口でまくし立てる。
「え…………?」
「私は今までずっと凪と一緒にいたのに、一回もなでられたことなんてない!
そんな優しい目で見られたこともない!」
「いやだって、茶々丸は犬だし…………」
俺は困惑と恥ずかしさと、少しのうれしさが混ざった表情を、茜からそらす。
「なに! じゃあ私が犬ならいいの!
凪の犬になれってこと?!
そういうことなのね!」
「いや、そんなこと一言も言ってな…………」
俺の返事を遮るようにして、茜は腹を上にして、床に大の字になる。
ボタンが外された制服のブレザーが開き、中のシャツが広く見える。
「お、おま……! なにやって……!」
「いいから早くなでて!」
俺も茜もそろって赤面する。
茜は、やけになっているようだ。
「いや、さすがにそれはちょっと…………」
「いいからはやく! はやくして!」
駄々をこねる茜に俺は観念し、指先で頭をそっとなでる。
「へぁっ!」
「ええ?!」
しばしの沈黙が流れる。
「もう……一回…………」
「は、はあ…………?」
「はやく!」
茜が両手を突き上げる。
俺はもう一度、指のさきで慎重に、茜の頭をなでる。
茜はごくりとのどを動かすと、スッと起き上がり、何事もなかったかのように体育座りをした。
~~~
次の日、学校で聞いた噂によると、茜はまた男子に告白されたらしい。
無理もない。
茜はかわいいし優しいし、勉強もスポーツもできる非の打ち所がない完璧な人間なのだから。
しかし、今回はいつもとは少し状況が違った。
昼休み、一緒に昼ご飯を食べていると、隣の席の杉本が俺に耳打ちした。
「おい、今回茜ちゃんに告ったの、誰か知ってるか?」
「いや、知らないけど……」
「あの学校一のイケメンで有名な木村先輩だぞ」
「サッカー部の部長の?」
「ああ、あの性格がよくて、テストも常に順位で一桁をうろついてるあの人だ。
茜ちゃんはまだ、返事してないみたいだけどな」
「勉強もできるのか。部活、結構力入れてるみたいなのにすごいな」
「だから、お前な……ひょっとしたら、これが最後のチャンスだぞ」
「なんのだよ…………」
俺は、杉本の言わんとしていることは大体わかっていたが、気づいていないふりをする。
「そんなの決まってるだろ。
お前が茜ちゃんにとって、仲のいい幼馴染で終わるのか、それともちゃんと恋人の関係になるかだよ」
俺はそこまで言われると、今さら茜への好意をごまかしたりせず、焼きそばパンを片手にうなる。
「でも正直、自信がないなー……」
「この期に及んで、何言ってんだよ」
「だって、俺なんかが…………」
すると教室に入ってきた茜が、一部聞こえたのか、ニヤニヤと笑って、こちらへ近づいてくる。
「お~? 恋バナ~? 凪(なぎ)にしては珍しいな~」
茜は腰に左手を当て、もう片方の手の人差し指をくるくると回しながら、俺に向ける。
「うるさい、お前には関係ねーよ」
「なによ、愛想がないわね」
俺の恋している相手が自分だとは思わず、茜はからかうように、俺の口を割ろうとしつこく聞いてくる。
俺はばれるわけにはいかないと思い、少し強めに茜を突っぱねる。
「いいから、これはこっちの話なの」
すると、踏んではいけない地雷を踏んでしまったのか、茜は急に真顔になって、言った。
「知ってるわよ、私は凪にとってその程度の人間だものね」
「そこまでいってないだろ…………」
「小学生のころからの幼馴染の私には、滅多に表情を変えないくせに、あの子にはニッタニタ嬉しそうにしてたじゃない!」
「はあ?」
俺は心当たりがまったくなく、首をかしげる。
「私の部屋に遊びに来てまで、あの子のこと、あんなに全身べたべた触って、なでまわしてたくせに!
なめられて喜んで、あんな見たことない嬉しそうな顔してたじゃない!」
「お前それ————」
「あんなに服従させて、ご満悦だったわよね!」
教室にいた数人の女子が、ヒッと怯えた声をもらす。
杉本の目線も険しい。
「だってあれはあくまで、犬だから…………」
「犬……?」
「凪くんって好きな人のこと、犬って呼んでるの……?」
「え……意外…………恋人との間では王様キャラなんだ…………」
クラスがざわつく。
俺がみんなに説明しようとすると、茜は珍しく、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「あんたが誰を好きかはあんたの勝手だけどさ、私には今まであんな顔一回も見せてくれなかったじゃない!
そのことはちゃんと恨むからね!」
「いや、茜……それは茶々丸がシンプルに子犬として、かわいいからであって…………」
「凪なんかもう嫌い!!」
茜はそう言って俺が持っていた焼きそばパンを奪いとって、俺の口に突っ込むと、廊下に走って行ってしまった。
クラスのみんなが、俺にドン引きの視線を向ける。
「おい、凪。
俺、茜ちゃんがあんなに感情をあらわにしてるの、初めて見たぜ…………そもそも怒ってるのも初めて見たぞ……」
俺は焼きそばパンをくわえたまま、無言で杉本にうなずく。
俺はパンを机の上に置いて教室を出ると、茜の走っていった方に向かう。
茜は、廊下の隅にある非常階段の扉の前で、顔を伏せて体育座りしていた。
俺は口に残っていたパンを飲み込む。
「茜……」
その声で、茜は近くに来たのが俺だとわかったのか、少し頭を上に動かした。
しかし、目が見える前に元に戻ってしまう。
「茜」
俺はしゃがんで茜に目線の高さを合わせ、腕をつつくとともに、もう一度名前を呼ぶ。
茜はやっと顔をあげる。
目はうるんで、今にも涙があふれそうだった。
「俺は茜のことちゃんと大切に思ってるよ。
こんなこと言ったらあれだけど、他のどの友達よりも、これからもずっと友達でいたいと思ってる」
少しの沈黙ののち、茜は口を開く。
「でも、好きな子いるんでしょ……?
もし、その子と付き合うようになったりしたら、私のことなんて、もう…………」
茜が言いたいのは、友達としての価値の話なのだろう。ずっと一緒にいた幼馴染の友達としての話。
友達なのに、見せたこともないような笑顔があって、それを茶々丸にはいとも簡単に見せたこと。
友達として、恋愛の話をしてくれなかったこと。
あくまでこれは、友達として裏切られたと感じた、ということなのだろう。
茜は今まで多くの男子に告られているが、全て断り、付き合ったことはない。
でも、あの木村先輩ほどの人間となれば、どうなるかわからない。
杉本の言う通り、どうにかなる前に俺が何かできるのは、これが最後なのかもしれない。
何より、ここでごまかしてしまうことが、それこそ本当に、茜を裏切ることになるような気がした。
茜は俺から目をそらし、涙が溢れないよう、静かに両目を閉じる。
俺は、茜の手に触れようとしてやめた。
好きな人にその気持ちを隠すのは、普通のことだろう。
でも、俺が気持ちを隠すのは今日だけじゃない。
茜を好きになってから、ずっと何年も、この気持ちを隠し続けていた。
ずっと勇気が出せずに、本当の気持ちを隠したまま、何食わぬ顔で茜とずっと一緒にいた。
茜は俺のことを友達だと思っているのに、俺は恋心を抱いている。
この感情を持つのは仕方のないことだろうが、俺はどこかだましているような罪悪感を感じていた。
俺は茜に嫌われるのが怖かった。振られるのが怖かった。
恋心を隠して友達という安全圏に居座り、自分にとって一番都合の良い立ち位置を模索していた。
でも、違うんじゃないか。
俺は今度こそ茜の右手に触れ、優しく包み込むように両手で握る。
茜が俺のことを無垢な目で見つめる。
その瞳は、俺と違って曇り一つない、澄んだものに見えた。
茜のことが本当に好きなら、茜に幸せでいてもらうことが一番のはずだ。
それなのに、俺はずっと自分のことばかり考えて、自分にとって一番の居場所を探し続けた。
その結果、茜は今、傷ついている。
俺は茜が好きなんだ。
なら、代わりに傷つくのは俺でいいじゃないか。
それで、優柔不断な自分とも、やっとおさらばできる。
友達でいれなくなってもいい。
それで茜の気持ちが楽になるのならば。
もう、終わりにしよう。
俺はもう一度茜の名前を呼び、長い沈黙を断ち切る。
「なに…………?」
怖い。嫌われることが怖い。
今までそういう風に見ていたのかと思われることが怖い。
もう、友達で、幼馴染でいれなくなることが怖い。
最高にかっこ悪いことに、俺の目から次々と涙がこぼれてくる。
それでも、できる限りの笑顔で言った。
「茜、俺はずっと、お前のことが好きだったよ」
茜は思いもよらなかったであろう俺の言葉に、驚いた表情を見せる。
これで良かったんだ。茜が好きなのに茜が傷つくのは、嫌なんだ。
すると、乾いた地面に優しく水が流れてくるかのように、茜の両目から静かに涙が零れ、頬を伝った。
茜は両手の手のひらで頬をぬぐうと、突然、俺に抱きついた。
俺は思わずよろけ、廊下の端っこで、茜を上にして倒れる。
茜は俺の肩をしっかりと抱きしめ、髪からほのかに甘い香りを漂わせて、耳元でつぶやいた。
「私も……ずっと、凪のこと…………好きだったよ」
そして、茜は顔を、今度は俺の正面に合わせて、いつもの晴れるような笑顔で、はっきりと言った。
「好きだよ! これからもずっと!
凪、大好き!」
その後、茜が子犬のように俺に甘え、俺が愛犬をかわいがるように、茜にめいっぱいの愛を注ぐのは、また別の話である。
早朝、登校中の俺、佐倉(さくら) 凪(なぎ)の肩を、幼馴染の白石(しらいし) 茜(あかね)が軽くたたく。
「あ、茜(あかね)、おはよう」
背中まで伸びた、きめ細かな艶めく黒髪。小動物のような、くりっとした目。そして高校に入ってから覚えた化粧をうっすらとした、かわいらしい笑顔。
小学生から高1の今まで何度も見てきた、そのはにかんだ笑みであったが、どんどん綺麗になっていくのを感じた。
いつからか、なんて細かいことは覚えていないが、俺は茜(あかね)のことが好きだった。
「わんこ、来たよ!」
「お、ついにか!」
茜(あかね)はずっと飼いたかった犬を、やっと家で飼ってもらえることになっていたのだ。
「だから今日、うち来てね!」
「う、うん」
俺は思わず鈍い返事をする。
茜(あかね)はおそらく、男を自分の家に連れてくることにあまりハードルを感じないタイプなのだ。
いつも明るくて、ハキハキしてて、笑顔だ。
一方俺は、そういうケースにあまり慣れていないので、一瞬戸惑ってしまった。
茜(あかね)は美人なだけでなく、誰にでもそういう爽やかな性格なので、端的に言えばモテる。
俺は幼馴染でなければ、こんなに近い距離感で仲良くしていることも本来できないだろう。
「じゃ、ホームルーム終わったら呼びに行くね!」
「わかった」
俺はやっと自然に笑って、うなずく。
~~~
クラスの全員が起立し、号令をする直前、思い出したように担任が付け足す。
「あ、あと、もうすぐテスト前二週間になりますので、各自少しずつでも勉強を…………」
「なーぎーー! はやく私の家いこー!」
廊下を走ってきた茜(あかね)が大声で叫ぶ。
先生を含め、クラスのみんなが廊下にいる茜(あかね)を見つめる。
「あ…………もう、終わってたのかと…………」
クスクスと何人かが笑う中、仲の良い、隣の席の杉本が俺を肘でつつく。
「おい、凪(なぎ)。夜道には気をつけろよ…………」
「おまえなあ……」
もちろん俺と茜は、恋愛的な関係になったことは一度もない。
茜は優しいから俺に良くしてくれているが、恋愛感情を向けられたことなんて全くない。
これは俺の一方的な、長いこじれた片思いでしかないのだ。
~~~
ひたすらに、ちょっかいをかけられながら歩いたのち、茜(あかね)の家に到着する。
交流はあったものの中学は別だったので、茜(あかね)の家に遊びに来るのは小学生のころ以来だ。
幼馴染とは言え、同い年の女子の家に来るのは、さすがに緊張する。
しかも今日は、家に他に誰もいないと言う。
「びっくりするぐらい、かわいいからね!
ゴールデンレトリバーの子犬だよ!
もっふもふだからね!」
「お、おう」
子犬を見れる興奮と女子の家に入る緊張が頭の中で混ざり、どっちが興奮でどっちが緊張だか、わからなくなる。
「では、いらっしゃーい!」
茜(あかね)が玄関の扉を開ける。
「おじゃましま———うわっ!!」
玄関に入るや否や、いきなり正面から俺に向かって大きな毛玉が走ってくる。
ヘッヘッヘと舌を出して、短いしっぽをちぎれんばかりに振る子犬は、まさに天からやってきたかのようなかわいらしさだった。
優しく背中をなでると、俺の胸の中に飛び込んできた。
俺は子犬を抱きかかえ、思わずため息をもらす。
「かわええぇぇ…………」
茜(あかね)が目を細めながら、子犬の手を動かし、代わりに自己紹介をする。
「でしょー! 茶々丸だよ! よろしくね!」
「かわいぃぃ……」
無論、両方がという意味であるが、そんなことは言わない。
茶々丸をなでながら、茜(あかね)と一緒に茜(あかね)の部屋に向かう。
茜(あかね)が部屋のドアを開けると、ほんのりと甘い香りが流れてくる。
部屋のなかは白で統一され、整頓されていた。
「じゃ、ジュースとか持ってくるから座ってて!」
「あ、悪いな。適当でいいよ」
「はいはーい」
俺は茶々丸をおろし、学校のリュックを床に置く。
まじまじと見てはいけないと思い、軽くだけ部屋を見渡す。
茜(あかね)の部屋だった。
茜(あかね)がいつもここで毎日、寝たり起きたりしていると思うと、背筋が伸びる。
床にあぐらをかくと、部屋をぐるぐる回っていた茶々丸が駆け寄ってきた。
優しく抱きかかえながら背中をなでると、茶々丸は俺の顔をぺろぺろとなめる。
「よーしよしよし。お前はかわいいなあ…………」
思わず自分らしくない、とろけるような声がもれる。
すると、茜(あかね)が両手にオレンジジュースのペットボトルを持って、部屋に入って来た。
「茶々丸いるから割れたりすると危ないから、ペットボトルそのまま持ってきちゃった」
両手を顔の近くに持ち上げて、真っ白な歯をニカっと見せる茜(あかね)に俺は答える。
「最初はやっぱそういうの、気になるもんだよな」
「そっそっそ」
茜(あかね)が俺の横に座り、茶々丸の頭をなでる。
茜の肩が、俺の二の腕に当たる。
制服越しに伝わる、華奢な肩の骨の感触が、俺の胸を少しへこませた。
天真爛漫(てんしんらんまん)な茜はおそらく、俺ほど相手のことを意識していないだろう。
こいつは天然というか、そういうところをあまり考えていないような性格だ。
俺は茶々丸に目を移し、その愛嬌に再び心を奪われる。
大型犬の子犬のかわいさが強烈であることは耳にしていたが、実際に見るとこれほどとは。
百聞は一見に如かずとは、よく言ったものだ。
あぐらをかく俺の足の間に降りた茶々丸は、腹を真上に向け、犬の世界で言ういわゆる服従のポーズをとる。
俺に警戒なんて、一ミリもしていないようだ。
全く、こいつは野生に生まれなくて本当に幸運なものだ。
俺はため息をもらしながら、茶々丸の腹を両手でわしゃわしゃとなでる。
茶々丸は嬉しそうに足を動かす。
「ねえ…………」
突然、茜が俺の制服をつまむように引っ張る。
「あ、ごめんごめん。つい、かわいくて」
俺は飼い始めたばかりの子犬を独占してしまっていたことを詫び、茶々丸を抱きかかえて、茜に渡す。
「え? あ、う、うん…………」
俺は首をかしげる。
どこか合点がいかず、まだ不満そうな表情の茜に、俺もまた合点がいかなかった。
俺が横から、茜に優しくなでられる茶々丸を眺めていると、茜はこちらをまっすぐに見て、言った。
「なでる…………?」
「あ、いいのか?」
「うん」
「それじゃあ…………」
俺は茶々丸を抱きかかえ、再び全身をわしゃわしゃとなでてやる。
茶々丸は大喜びで、今にもしっぽが飛んでいきそうだ。
「凪(なぎ)はさ…………」
「ん? なんだ?」
「凪は、犬にはいつもそうなの?」
「え?」
「犬にはいつもそうやって、たくさんなでたりしてるの?」
「なんだよ、急に……」
茜はこちらを上目遣いに見つめる。
少し前に垂れた髪の間からのぞく、その表情は、どこかすねているように見える。
両目に力が入り、うっすらと口紅をぬった唇はキッと、結ばれている。
「別に、飼ってるわけじゃないから犬なんてそう会えないし、茶々丸ぐらいだよ」
「茶々丸と他の犬の話をしてるんじゃないの! 茶々丸を含めた全世界の犬と人間の話をしてるの!」
「はあ……? 全世界って何の話だよ……。
言ってる意味がよくわからないんだけど…………」
「だって、茶々丸のことは今日初めて会ったのに、そんなにかわいがってるけど、私のことは小学校からの仲なのに、そんな風にしたことないじゃない!」
茜は早口でまくし立てる。
「え…………?」
「私は今までずっと凪と一緒にいたのに、一回もなでられたことなんてない!
そんな優しい目で見られたこともない!」
「いやだって、茶々丸は犬だし…………」
俺は困惑と恥ずかしさと、少しのうれしさが混ざった表情を、茜からそらす。
「なに! じゃあ私が犬ならいいの!
凪の犬になれってこと?!
そういうことなのね!」
「いや、そんなこと一言も言ってな…………」
俺の返事を遮るようにして、茜は腹を上にして、床に大の字になる。
ボタンが外された制服のブレザーが開き、中のシャツが広く見える。
「お、おま……! なにやって……!」
「いいから早くなでて!」
俺も茜もそろって赤面する。
茜は、やけになっているようだ。
「いや、さすがにそれはちょっと…………」
「いいからはやく! はやくして!」
駄々をこねる茜に俺は観念し、指先で頭をそっとなでる。
「へぁっ!」
「ええ?!」
しばしの沈黙が流れる。
「もう……一回…………」
「は、はあ…………?」
「はやく!」
茜が両手を突き上げる。
俺はもう一度、指のさきで慎重に、茜の頭をなでる。
茜はごくりとのどを動かすと、スッと起き上がり、何事もなかったかのように体育座りをした。
~~~
次の日、学校で聞いた噂によると、茜はまた男子に告白されたらしい。
無理もない。
茜はかわいいし優しいし、勉強もスポーツもできる非の打ち所がない完璧な人間なのだから。
しかし、今回はいつもとは少し状況が違った。
昼休み、一緒に昼ご飯を食べていると、隣の席の杉本が俺に耳打ちした。
「おい、今回茜ちゃんに告ったの、誰か知ってるか?」
「いや、知らないけど……」
「あの学校一のイケメンで有名な木村先輩だぞ」
「サッカー部の部長の?」
「ああ、あの性格がよくて、テストも常に順位で一桁をうろついてるあの人だ。
茜ちゃんはまだ、返事してないみたいだけどな」
「勉強もできるのか。部活、結構力入れてるみたいなのにすごいな」
「だから、お前な……ひょっとしたら、これが最後のチャンスだぞ」
「なんのだよ…………」
俺は、杉本の言わんとしていることは大体わかっていたが、気づいていないふりをする。
「そんなの決まってるだろ。
お前が茜ちゃんにとって、仲のいい幼馴染で終わるのか、それともちゃんと恋人の関係になるかだよ」
俺はそこまで言われると、今さら茜への好意をごまかしたりせず、焼きそばパンを片手にうなる。
「でも正直、自信がないなー……」
「この期に及んで、何言ってんだよ」
「だって、俺なんかが…………」
すると教室に入ってきた茜が、一部聞こえたのか、ニヤニヤと笑って、こちらへ近づいてくる。
「お~? 恋バナ~? 凪(なぎ)にしては珍しいな~」
茜は腰に左手を当て、もう片方の手の人差し指をくるくると回しながら、俺に向ける。
「うるさい、お前には関係ねーよ」
「なによ、愛想がないわね」
俺の恋している相手が自分だとは思わず、茜はからかうように、俺の口を割ろうとしつこく聞いてくる。
俺はばれるわけにはいかないと思い、少し強めに茜を突っぱねる。
「いいから、これはこっちの話なの」
すると、踏んではいけない地雷を踏んでしまったのか、茜は急に真顔になって、言った。
「知ってるわよ、私は凪にとってその程度の人間だものね」
「そこまでいってないだろ…………」
「小学生のころからの幼馴染の私には、滅多に表情を変えないくせに、あの子にはニッタニタ嬉しそうにしてたじゃない!」
「はあ?」
俺は心当たりがまったくなく、首をかしげる。
「私の部屋に遊びに来てまで、あの子のこと、あんなに全身べたべた触って、なでまわしてたくせに!
なめられて喜んで、あんな見たことない嬉しそうな顔してたじゃない!」
「お前それ————」
「あんなに服従させて、ご満悦だったわよね!」
教室にいた数人の女子が、ヒッと怯えた声をもらす。
杉本の目線も険しい。
「だってあれはあくまで、犬だから…………」
「犬……?」
「凪くんって好きな人のこと、犬って呼んでるの……?」
「え……意外…………恋人との間では王様キャラなんだ…………」
クラスがざわつく。
俺がみんなに説明しようとすると、茜は珍しく、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「あんたが誰を好きかはあんたの勝手だけどさ、私には今まであんな顔一回も見せてくれなかったじゃない!
そのことはちゃんと恨むからね!」
「いや、茜……それは茶々丸がシンプルに子犬として、かわいいからであって…………」
「凪なんかもう嫌い!!」
茜はそう言って俺が持っていた焼きそばパンを奪いとって、俺の口に突っ込むと、廊下に走って行ってしまった。
クラスのみんなが、俺にドン引きの視線を向ける。
「おい、凪。
俺、茜ちゃんがあんなに感情をあらわにしてるの、初めて見たぜ…………そもそも怒ってるのも初めて見たぞ……」
俺は焼きそばパンをくわえたまま、無言で杉本にうなずく。
俺はパンを机の上に置いて教室を出ると、茜の走っていった方に向かう。
茜は、廊下の隅にある非常階段の扉の前で、顔を伏せて体育座りしていた。
俺は口に残っていたパンを飲み込む。
「茜……」
その声で、茜は近くに来たのが俺だとわかったのか、少し頭を上に動かした。
しかし、目が見える前に元に戻ってしまう。
「茜」
俺はしゃがんで茜に目線の高さを合わせ、腕をつつくとともに、もう一度名前を呼ぶ。
茜はやっと顔をあげる。
目はうるんで、今にも涙があふれそうだった。
「俺は茜のことちゃんと大切に思ってるよ。
こんなこと言ったらあれだけど、他のどの友達よりも、これからもずっと友達でいたいと思ってる」
少しの沈黙ののち、茜は口を開く。
「でも、好きな子いるんでしょ……?
もし、その子と付き合うようになったりしたら、私のことなんて、もう…………」
茜が言いたいのは、友達としての価値の話なのだろう。ずっと一緒にいた幼馴染の友達としての話。
友達なのに、見せたこともないような笑顔があって、それを茶々丸にはいとも簡単に見せたこと。
友達として、恋愛の話をしてくれなかったこと。
あくまでこれは、友達として裏切られたと感じた、ということなのだろう。
茜は今まで多くの男子に告られているが、全て断り、付き合ったことはない。
でも、あの木村先輩ほどの人間となれば、どうなるかわからない。
杉本の言う通り、どうにかなる前に俺が何かできるのは、これが最後なのかもしれない。
何より、ここでごまかしてしまうことが、それこそ本当に、茜を裏切ることになるような気がした。
茜は俺から目をそらし、涙が溢れないよう、静かに両目を閉じる。
俺は、茜の手に触れようとしてやめた。
好きな人にその気持ちを隠すのは、普通のことだろう。
でも、俺が気持ちを隠すのは今日だけじゃない。
茜を好きになってから、ずっと何年も、この気持ちを隠し続けていた。
ずっと勇気が出せずに、本当の気持ちを隠したまま、何食わぬ顔で茜とずっと一緒にいた。
茜は俺のことを友達だと思っているのに、俺は恋心を抱いている。
この感情を持つのは仕方のないことだろうが、俺はどこかだましているような罪悪感を感じていた。
俺は茜に嫌われるのが怖かった。振られるのが怖かった。
恋心を隠して友達という安全圏に居座り、自分にとって一番都合の良い立ち位置を模索していた。
でも、違うんじゃないか。
俺は今度こそ茜の右手に触れ、優しく包み込むように両手で握る。
茜が俺のことを無垢な目で見つめる。
その瞳は、俺と違って曇り一つない、澄んだものに見えた。
茜のことが本当に好きなら、茜に幸せでいてもらうことが一番のはずだ。
それなのに、俺はずっと自分のことばかり考えて、自分にとって一番の居場所を探し続けた。
その結果、茜は今、傷ついている。
俺は茜が好きなんだ。
なら、代わりに傷つくのは俺でいいじゃないか。
それで、優柔不断な自分とも、やっとおさらばできる。
友達でいれなくなってもいい。
それで茜の気持ちが楽になるのならば。
もう、終わりにしよう。
俺はもう一度茜の名前を呼び、長い沈黙を断ち切る。
「なに…………?」
怖い。嫌われることが怖い。
今までそういう風に見ていたのかと思われることが怖い。
もう、友達で、幼馴染でいれなくなることが怖い。
最高にかっこ悪いことに、俺の目から次々と涙がこぼれてくる。
それでも、できる限りの笑顔で言った。
「茜、俺はずっと、お前のことが好きだったよ」
茜は思いもよらなかったであろう俺の言葉に、驚いた表情を見せる。
これで良かったんだ。茜が好きなのに茜が傷つくのは、嫌なんだ。
すると、乾いた地面に優しく水が流れてくるかのように、茜の両目から静かに涙が零れ、頬を伝った。
茜は両手の手のひらで頬をぬぐうと、突然、俺に抱きついた。
俺は思わずよろけ、廊下の端っこで、茜を上にして倒れる。
茜は俺の肩をしっかりと抱きしめ、髪からほのかに甘い香りを漂わせて、耳元でつぶやいた。
「私も……ずっと、凪のこと…………好きだったよ」
そして、茜は顔を、今度は俺の正面に合わせて、いつもの晴れるような笑顔で、はっきりと言った。
「好きだよ! これからもずっと!
凪、大好き!」
その後、茜が子犬のように俺に甘え、俺が愛犬をかわいがるように、茜にめいっぱいの愛を注ぐのは、また別の話である。