追憶ソルシエール
受け取って、と言わんばかりに差し出されるその手を、首を横に振って軽く押し返す。
「大丈夫だよ。走って帰れば家まですぐだし、それにたぶんもうじき止むと思うから」
「やっぱ持ってないんじゃん」
間髪を入れずにつっこまれた鋭い台詞に、「あっ、」とちいさく声を洩らす。咄嗟に両手で口を抑えるも、今さらそんなことをしてももう遅い。
「これは当分止まないと思うなー」
空を見上げる彼に、つられるようにして透明な膜に張られたその外の景色を目に映す。
心做しか、さっきよりも雨足が強くなっている気がする。傘に弾く雨音も、水溜まりにはねる水も、より大きくなっている気がした。
「でも、その傘わたしに貸したら……」
────西野くん、困っちゃうでしょ
喉まででかかったその言葉は、すんでのところで呑み込んだ。
きっと彼はわたしのことに気づいてない。気づいてないからこんなに親切に接してくれるわけで。それなら、わたしも知らないふりをするのが妥当だろうから。
「俺ん家はすぐだしさ、ね?」
顔を覗き込まれて、じっと目を見据えられる。その瞳から逸らすこともできず、ただただ見つめ合う状況。
これはただの善意。彼の親切心。雨が降っているなか、傘を持っていない人を見て助けてくれようとしているだけ。
そう言い聞かせて心を安定させようとする。さっきよりは落ち着いたものの、なかなか鼓動は早く鳴るのを止めない。