あなたとはお別れしたはずでした ~なのに、いつの間にか妻と呼ばれています~
そして、樹のマンションに四年ぶりに足を踏み入れた。
あの頃のままで、なにも変わっていなかった。
ふたりで考えて買ったベージュに蘭の花がプリントされたカーテン。
樹が寝心地よりも、ふたりで横たわれるように大きさにこだわったベッド。
服を脱ぐのももどかしく、樹は性急に和花を求めてきた。
(彼も、自分を求めている)
それは、嬉しい誤算だった。
経験のなかった和花に初めて触れたのは樹だった。
あれは付き合ってどれくらいたった頃だったろう。どちらからともなく求めあったのだ。
初めて抱かれた時から、和花は彼がその時に囁く甘い声の虜になった。
ひとつひとつ和花の喜びを確認しながら触れてくれる優しい手。
時には激しく、時には執拗に和花を求める樹。
次第に高まってくる感情の嵐に翻弄されて、和花は我を忘れるほどだった。
あの夜は、これまでに経験したことがないほど樹は情熱的だった。
樹は和花を離さず、幾度も抱いた。
抱きつぶされて、ふたり絡んだまま眠ってしまったくらいだ。
目覚めた時には、和花はキールの酔いも醒めて現実を思い出していた。
ベッドの隣では、まだ樹が柔らかな寝息を立てている。
(ありがとう)
愛してくれて、最後に望み通り抱いてくれてありがとう。
樹に対しては、その言葉しか浮かんでこなかった。
(あなたのこと、大好きでした)
和花はそっとベッドから降りて服を着た。
(さようなら)
四年前は言葉を交わすこともなく、ふたりの恋は自然に消えてしまったが今度は違う。
心の中だけだが、やっと樹に別れの言葉が言えた気がした。
彼は弁護士として、これから活躍していく人だ。
そして、私はロンドンで美術の世界へと歩み始める。
もう元には戻れないし、東京とロンドンに離れてしまえばふたりの進む道は交わることはないだろう。
和花は樹の部屋をよく知っているから、すぐに以前と同じところにカギを見つけた。
何度も同じことをしてきたから、手順は簡単だ。ドアにカギを掛けてメールボックスに入れてロックする。
和花がマンションを出たのは、まだ日も登らない時刻だ。
とても寒い十二月の朝だった。