水もしたたる善い神様 ~沈丁花の記憶~
「死んだものに対してのお経はあの世に導いたり、安らかに眠れるようにするために読まれるものだ。だが、その呪い、紅月の呪いは蛇。その蛇はあの世にはいきたくないようだ。そうなると、その呪いはどうすると思う?」
「お経が聞こえないところへ逃げる?」
「そう、紅月の体から呪いの主となる蛇が逃げるはずなんだ」
なるほど。
呪いの原因となっている蛇が成仏したくないがために、お経から逃げ出す。そのため、紅月の体から出た蛇の呪いを矢鏡が払う。そう言った作戦のようだ。
「蛇の呪いの方法は知っているか?」
「いえ………」
「しるはずもないか」と苦笑いを浮かべた矢鏡は、持っていた四角い墨を硯の上に置いた後に、ゆっくりと紅月の方へと体を向き直した。
矢鏡は「あまり良い話ではないが」と前置きをした後に呪いについての説明をしてくれた。
「呪いとは恨みつらみからくるものがほとんどだ。嫉妬や深すぎる愛情も、行き過ぎると憎さに変わるからな。紅月に心臓に纏わりついているのは蛇。動物の呪いで簡単なのは飢えだ」
「え……」
「蛇を飢餓状態にし、死ぬ直前まで苦しめた後……その蛇の首を落とすのだ」
「…………」
「怨念が増した蛇の霊を呪物として使役し、呪いたい相手に飛ばすのだ」
食べ物を与えず苦しみ、死ぬ直前に首を落とす。誰が考えても辛く、恨みを持つ扱いだ。話しを聞いただけでも胸が苦しくなるし、喉元に込み上げてくるものがある。
そんな悲しく辛い思いをした蛇が自分の心臓に絡みついて、紅月を殺そうとしている。
死の恐怖は紅月が身をもって体感している。
それを胸の奥にいる蛇は苦しみもがきながら死を感じ、苦しんだ方法ではなく斬首という惨い殺され方をしているのだ。
紅月は自分の胸を上下に動かす場所を服の上から手を当てる。そこからは蛇の苦しい声も痛みも感じられない。けれど、矢鏡が教えてくれたのだ。紅月の心臓にはその蛇が苦しんでいるのだろう。
「可愛そう。どうして、酷いことを」
紅月を呪うために誰が蛇に酷い事をしたのかはわからない。理由もわからない。
けれど、その蛇は全く持って紅月には関係もなかったはずだ。
巻き込まれただけ。
そう思うと、苦しさと切なさが一気に湧き上がってくる。