水もしたたる善い神様 ~沈丁花の記憶~
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『なんで……?』
『僕は悪いことをしていないのに』
『苦しめたのは、おまえじゃないか』
体のいたる所から、刺されるような痛みと共に、そんな呪詛のようなドロドロとした深い泥のような重い声が響いてくる。
痛みと苦しみの声に耐えながら、矢鏡はその正体を探った。
答えなどすぐに出る。
先ほど、紅月の呪いを体で受けたからだ。その呪いが体の中で悲しみながら悶えているために、矢鏡は眠りから覚める事が出来ないのだ。
矢鏡より呪いの方が、力が圧倒的に上なのだから。
呪いに包まれている。
そんな感覚が矢鏡にはあった。どす黒くて、触れると静電気のようにピリッとする。そして、ずっと浸かっていると毒に侵されていくようだった。冷たい沼にずぶずぶと攫われていく。
それと同時に、先程からの声。
呪いとして生贄にされた蛇のものだろうか。
悲痛な叫びは、矢鏡の耳から脳内へと入り牙を立てようとしているのだろう。先ほどから割れるように頭が痛い。
首を斬られたのだから、蛇の頭などないはずなのに、頭をカジカジとかまれているような気分だ。毒でも持っている蛇だったのか。
矢鏡はピクリとも動かない体を無理を動かそうとせずに、ただたただ痛みに耐えながら冷静に考えていた。
そう、自分は神なのだ。力がない神だとしても、所詮は蛇の呪い。負けるはずがない。
そんな事を考えていると、少しずとどす黒い空気が薄くなり、頭痛も軽くなってくる。悲しみと痛みから呪いの言葉をかけ続けていた蛇の声もどんどんと小さくなっていく。
呪いが浄化されつつあるのだ。神である聖なる力、矢鏡の力によって。
それを体で感じながら、矢鏡は小さく息を吐いた。
まずは1つ終わった、と安堵した。が、それも一瞬の事だ。そう、目の前にあった紅月の呪いを払っただけなのだ。
そもそも蛇を使った呪い。しかも、1匹の普通の蛇だけの呪いで、人の命が奪われるような力があるのか。答えは否だ。ずっと昔からついていた呪いのようなので、少しずつ生命力を削っていったと思うと、1人の人間を殺せたかもしれない。だが、神である矢鏡が気づかずに今までずっと呪いがあったというのは考えられない。
「そうなると、まだ根本的な問題は解決出来ていない、のか?」
やっとの事で動くようになった唇で、矢鏡はそう呟いた。
紅月の命を削る呪いは、まだ払えていないのではないか。
そんな結論に至った矢鏡は、体内で浄化させた蛇の呪いを、小さな息と共に吐きだした。矢鏡の青白い手の平にミミズほど小さくなった青みの強い蛇がうねうねと波打つように動いていた。青大将だ。青いうろこから北の国で生まれ育ったものなのかもしれない。
呪いのせいで頭はなくなっていたはずだが、それを矢鏡は復活させて元の形へと戻した。