水もしたたる善い神様 ~沈丁花の記憶~
澄んだ声は見た目と同じように美しく、女性とも男性ともとれるような音だった。けれど、紅月は男性だと、何故だかわかる。
綺麗なものには毒があるというが、彼の言葉は毒のように恐ろしいものだった。
どうして、自分が死ぬことを知っているのだろうか。何故?と思いつつも、すぐにわかる。紅い大きな満月を背にして神妙な顔でこちらを見る彼は、どうみても、この世のものではないからだ。
突然目の前に現れた神職の格好の男は、驚きから声を止めている紅月にかまわずに、横柄な口調でそのまま言葉を続ける。
「恐れなくてもいい。その呪いを退けてやってもいい」
「呪い………」
「蛇だな。おまえの心の臓には蛇の体がからまっている。誰にやられたのか、お前が蛇に好かれやすいのかわからないが。それを払ってやってもいい」
そう言うと、その男はふわりと風のように古びたソファから体を浮かせた。飛ぶ、に近い動きに紅月はやはり彼はこの世のものではないと冷静に判断した。そんな風に落ち着いているのには自分でも驚いてしまう。
その男は、ゆったりと手を伸ばして、紅月の頬に触れた。その手は花のように冷たく、さらりとした感触だった。そして、その時に彼からは先ほど紅月を誘っていた沈香の香りが漂ってきた。
「俺もそろそろ消えそうなんだ」
「それって、幽霊だから……ですか?」
「幽霊か……。死んだもの全てを指しているのならその通りだが、ただの迷えし魂というわけではない」
死人と普通に話せる事自体がありえない事のはずが、いたって普通に見えて、声も聞こえてしまうと彼は一見して人間と変わらない。彼は生きているのではないか。話していると、そんな風に思ってしまう。
「鎮守神。祀られている一定区域の土地を守護するための神って奴だ」
「どうして、神様が私を助けてくれるのですか?」
「私にはおまえしかいないからな………」
「……それはどういう意味ですか?初めて会ったのに……?」
「……そうだな。まぁ、いいさ。長すぎる時間なのだから」
寂しげにその言葉を残すと、鎮守神だという男は、紅月の頬に触れても温まることもない冷たい手を離し、またソファへと座る。