水もしたたる善い神様 ~沈丁花の記憶~
矢鏡も隣で一緒に階段を上がってくれているが、彼は高身長で足も長い。そのためか、あまり歩くのに苦労していないように見える。それに、疲れるとふわりと宙に浮いているようだ。
やはり神様はずるい。
けれど、紅月は彼をお参りに来たのだから、仕方がないと思いながらも少しだけ悔しくなってしまう。それに、デートだと思ってワンピースを着て来てしまったのも後悔していた。スニーカーを履いてきたものの、やはり歩きにくい。荒れ果てた場所なのだからおしゃれよりも動きやすさを考えた服装にしておくべきだったな、と内心では反省していた。
長い階段を登りきると見えてくるのは、真っ白だったはずの鳥居だ。塗装は剥がれ落ち、今にも崩れ落ちそうなほど朽ちている。紅月は鳥居の前で深く頭を下げた後に、鳥居をくぐる。鳥居の奥は聖域になり、自分たちが暮らす「俗界」とを隔てる場所なのだ。そのため、「失礼致します」「お邪魔致します」の意味を込めて、頭を下げる。昔、祖母から教えて貰った事だった。
その鳥居の奥で2人を待っているのは狛犬だ。けれど、その2匹の顔も可愛そうなほどに汚れ、背中には苔がついている。右側の狛犬の尻尾がなくなってしまっている。風化して落ちてしまったのだろうか。
そんな狛犬に近づいた矢鏡は、優しく頭を撫でる。その仕草はとても大切もの撫でるように繊細なものだった。
そして、彼は下駄を鳴らしながら本堂に近づく。
ジッと崩れそうな木造の神社を見つめている矢鏡の背中を、紅月は静かに見守った。
細身に見えるが、意外にもがっしりとした体つきの矢鏡の背中が、何故か小さく見える。自分の神社が、このように誰にも大切にされずに、日に日に古くなっているのを見ているしかできないのだ。
参拝用の本坪鈴(ほんつぼすず)は取り外されており無くなってしまっているし、賽銭箱には大きな穴が空いており、もちろん中にはいくらのお金も入っていない。ただの壊れた木箱同然に置かれている。拝殿の扉も壊れており、中が見えた状態だが、小さな拝殿の中もぐじゃぐじゃになっている。誰かが暴れたのかと思うほどに、床や壁が破壊され、拝殿は傾いてしまっているのだ。
そんな拝殿を背に、矢鏡は紅月の方を振り向くと、眉を下げて申し訳なさそうに微笑んだ。
「こんな場所だが、よく来てくれた。ゆっくりしていけ」
矢鏡は泣いているのではないか。それぐらいに、胸が締め付けられる表情だった。
紅花は咄嗟に駆け寄り、矢鏡の手を取って、強く握りしめる。そこにあるのは、相変わらずに冷たい手。けれど、自分の傍に居てくれると確認出来る。あまりにも切ない表情に、そのまま彼が消えてしまうのではないか、そう思ってしまった紅月は、冷たい体温を感じられホッとする。