水もしたたる善い神様 ~沈丁花の記憶~
突然大声で怒鳴られた紅月は体を震わせた後、声の方へと咄嗟に顔を向ける。
すると、そこには杖をついた傘寿を超えたぐらいの老婆の姿があった。白髪が多くなった髪を後ろで乱雑にしばり、落ち着いた柄のシャツにゆったりとしたズボンにスニーカーという、年相応の服装をした腰が少し曲がった老婆。紅月は驚きながら、その老婆に近づき持っていたカーディガンで濡れてしまっている頭にかけようとするが、その老婆は「私に近づかないでおくれ!」杖を地面に強く打ちつけながら紅月を罵倒した。
「おばあさん。一人でここまで登ってきたのですか?こんな急な階段を」
「見たこともない女がこの祟り神の神社に入っていくのを見かけたからね。私だったこんな呪われた場所なんて来たくなかったよ」
「……祟り神って、そんな。ここの神様は村の人を大切に思っている矢鏡様の……」
「その名前を口にしないでおくれッ!」
般若のような表情になりながら怒鳴る老婆は、紅月を睨みつけた後、ゆっくりとした歩調で拝殿前の参道を歩く。途中で狛犬の事を杖で叩いたり、拝殿を穢れたものを見るように顔をしかめたりしており、矢鏡神社を心底嫌っているのが伝わって来た。
「どうして、そこまでここを嫌ってらっしゃるのですか?」
紅月は震える声でそう老婆に尋ねる。
視線は拝殿の方に向けており、老婆の背中に向けているように見えるかもしれない。が、紅月の瞳には無表情のままその老婆を見つめる矢鏡の姿が写っていた。矢鏡は、先程2人で座っていた場所からは一歩も動かずに、突然現れ怒っている老婆を見つめているだけだった。
紅月の問いかけに、老婆は馬鹿にしたように声を吐き出した。
「そんな事も知らないでここに参拝に来たのかい?いいかい、ここにいるのは祟り神でもない。ただの人間なんだよ。祈ると呪われる。さっさと壊してしまえばいいんだ。おまえみたいな何もしらにでお参りにくる奴がいるから、ただの人間であるこの神社が消えないんだ。私たちには、蛇神様がいるのだから」
そう言うと、矢鏡が見えていないはずの老婆は、彼が座っているすぐ隣りの腐りかけた床をダンダンッと今までで1番強く杖で叩き。「村人じゃない奴は帰りな」と、またゆっくりと来たばかりの参道を戻っていく。
「ちょっと待ってくだ………」
「いい。紅月」
「矢鏡様」