水もしたたる善い神様 ~沈丁花の記憶~
それからというもの、あれだけ雨が降りつついていたのが嘘のように晴天が続いた。
春の穏やかで温かな風は、水の腐った匂いから変わり、緑と花の香りを運んで来てくれるようになる。晴れの日が続くと、気持ちも上がってくるだろう。そう思っていたが、数日前の出来事が忘れられない矢鏡は、一人だけどんよりとした雨雲の下で生活しているような気分であった。
取引をしている店主との会話以外で、あの白無垢の少女についての話題を他で聞けることはなかった。寺の住職の所まで足を運びたい気持ちもあったが、矢鏡の髪の毛を見られてしまったら、「化け物だ」と言われてしまいそうで、怖かった。そのために、それについては忘れてしまうしかない。そんな風に思っていた。
半月が立って、少しずつ日常を取り戻し、そろそろ庭に野菜でも植えていこうと考え始めた頃だった。
カランカランッと静かな森に、大きな音が鳴り響いた。
それは、矢鏡が家の周辺に設置していた罠だった。動物を仕留める罠ではない。家の近くを訪れようとする人間を警戒しての罠だった。地面に縄を張り巡らし、それに引っかかっると、その縄に掛けてある板がぶつかり合い音を鳴らすという単純な作りになっていた。
以前も大型の動物である鹿やタヌキが通って音が鳴った事はあったが、最近はここ周辺に罠があると動物も学んだようで滅多に音が鳴る事はなかっただけに、矢鏡は人間ではないかと警戒した。
すぐに弓矢を手に取り、音が鳴らないようにドアを開けて周りの様子を確認する。
けれど、家の周辺には何も姿もなく、木々や草が風で揺れているだけだった。矢鏡は、それでも罠の周辺を確認しなければ安全に暮らせない。そのために、少し遠回りをして罠を仕掛けた場所へと向かった。
長い草が生い茂る場所に罠が設置されている。もちろん、侵入してきた者が罠に気付きにくくするためだ。
高い木々の間で、矢鏡が設置した板がカタカタと揺れている。
その丁度真下の草むらも不規則に揺れている。
あそこに小動物でもいるのだろう。人間だとしたら、さすがに草の合間から見えるはずだ。矢鏡は弓矢を構えて近づきながらも、少しだけ安堵した。
「いたたた……」
「!?」