水もしたたる善い神様 ~沈丁花の記憶~
先程から今までの生活からかけ離れた話をされている。本当に現実に行われている事なのか?そう疑問におもってしまうが、眼の前の少女の表情は、至って真剣である。それに、妹の死に動揺しながらも、ある程度の予想を持っていたのも嘘ではない証拠だった。
初めて会った自分に何故こんな話を打ち明けるのか。それはわからないが、村から離れた場所に住む見ず知らずの相手だからこそ話せる。そういう事もあるのだろう。
「おまえはどうしたいんだ?」
「え?」
「妹と同じように、村のために自らを犠牲にするのか?」
「それは、決められたことだから。村がないと私も生きていけない。この役目を断れば、私の代わりに誰かが死ぬことになる。人身御供以外の方法なんて、もうないんだから」
「………」
自分より年下だろう女が自分の命が終わるのを諦めている。いや、自分一人の命で村の全員が助かるのならば。そう思っているのだろう。
だが、この女の妹が死んで、晴れた時間はどれぐらいだった?あと少しで雨が降り出すのならば、人一人死んだ代償としては短すぎるのではないか。いや、誰かが死ぬことで安寧を得られることは果たして良いことなのか?
彼女が死を受け入れようとしているのに、そんな事を言えるはずもなく、矢鏡は言葉に詰まってしまう。
こういう時、人との関わりがなかった事が悔やまれる。すると、女の方が口を開いた。先ほどの話とは違った、穏やかな口調だ。
「ここは、沈丁花の香りが薫る、良い場所ね」
「あ、あぁ。近くに咲いているんだ。春がまじかに迫っているんだな」
「今度川に行きたいの。案内してくれる?」
「蛇神がいるかもしれないんだろ?そんなところへ行ってどうする?」
「妹の弔い。村では妹は崖から転落して死んだって事になっているけど、お墓には何も入っていないの、私は知ってるから。せめて死んだ所でお祈りしたいから」
「わかった。次は罠にかかるなよ」
「えー、罠なんてやめればいいのに」
ふんわりと笑った彼女は死ぬとは思えないほどに明るく微笑む。その度に簪についたゆらゆらとした金色の玉がゆれている。月が笑っているみたいだな、と矢鏡は思った。
名前も知らない女と約束を交わし、女は村へと帰っていった。
その空にどんよりとした雲が現れ始めたのに、2人は気づきはしなかった。