水もしたたる善い神様 ~沈丁花の記憶~
「ちょっ、ちょっと待って。やっぱりここはよくないと思う」
「ここまで来たのに止めるのか?」
「ここの気はあんまりよくない。私、少しだけおばあさまの血を引いてて、見えない者がみえたり感じたりするんだけど。ここはダメだってその力が言ってる」
「じゃあ、俺だけいくからお前は待ってろ」
「だめ!一緒に帰るの」
「お、おいっ!」
柔らかくて小さな手ががっちりと矢鏡の手を包む。女はぐいぐいと引っ張って洞穴から出ようとしている。
何か自分では感じられないものを、彼女は感じてしまったのだろうか。勘というやつかもしれない。自分にも何となく行きたくない場所や、嫌な雰囲気というのは感じたことがある。そういうときは、無理に行かない方が身のためだと矢鏡も理解していたので、彼女の勘に頼る事にした。
「山男でも、ここは危険よ。絶対っ!」
「……なら、やめておいた方がいいかもな。来るとしてももう少し装備しておかなけいと」
「……私はもう来たくない」
そう言って、フイッと川の方へと視線を向けた彼女の体は繋いだ手から震えているのがわかった。
川の探索からの帰り道。
分厚い雲から、ついに大粒の滴が落ち始めた。矢鏡の家につく頃には土砂降りになり、2人は体も着物も川に落ちたかのように濡れてしまった。
「手拭いしかないが、これ使え」
「う、うん。ありがとう……」
矢鏡の家に入るのを何故か躊躇している女は、玄関付近でたったまま、矢鏡から手拭いを受け取った。髪から滴り落ちる雨水が、頬や着物、そして床を濡らしていく。女は布で水分を取ろうとするが、薄手の布のため、すぐに吸わなくなる。