水もしたたる善い神様 ~沈丁花の記憶~
「これも使え」
「でも、山男さんのが」
「いいから。俺は家に居るだけだから、囲炉裏にでも当たってれば乾く。おまえは、帰らなければいけないだろう」
「はい。そろそろ夕暮れなので。どうせ濡れるから、気にしないで」
「俺より年下なのに気を遣うな」
そう言った無理やり彼女の手に自分の手ぬぐいを置き、矢鏡は濡れた髪を頭巾越しに拭こうとする。
やはり、頭が1番濡れてしまっている。服も脱いでしまいたいが、この女の前で脱げば怒られるのだろうな、と我慢することにした。
すると、矢鏡をじっと見ていた女が、突然最悪な質問をしてきた。
「どうして、いつも頭巾を被ってるの?」
「……別にいいだろ。そんな事」
「じゃあ、どうしてこんな山奥に1人で暮らしているの?」
「一人が好きなんだ。ほら、雨足が弱まって来た。そろそろ帰れ」
長話などしては、今まで隠していた事がばれてしまう可能性が増えるだけだ。それに彼女は雨に濡れた頭巾を被り続けている矢鏡に不信感を持ち始めているようだ。早くこの場から去ってもらい、しばらくは接触は控えよう。そう思った瞬間、矢鏡は「しばらく」という言葉が自然に出た事に驚きを隠せなかった。
「しばらく」ということは、また彼女と会うだろうと思っているという事だ。何故、そんな感情が芽生えてきたのか、自分でも不思議で仕方がなかった。
人と関われは面倒な事に巻き込まれるだけであるし、自分の銀髪を見れば、矢鏡の事を不気味がりすぐにこの村や山から追い出されるはずだ。やっと落ち着いて過ごせる場所が出来たのだから、銀の髪の事を他の人間にばれるわけにはいかないのだ。
それなのに、この女とはこれからも会うつもりでいる。そんな自分の感情の変化に驚き、警戒した。
この女は銀髪を見たらどう反応するのだろうか。
見えないものが見えるようならば、こんな髪でも受け入れられる。そんな風に自然に思ってしまっていたのだろうか。
ありえない。
少しでも、危険があるならば、この女には秘密にしておかなければいけないのだ。
自分の安全に平和に日常を過ごすためには。