水もしたたる善い神様 ~沈丁花の記憶~



 そこまで結論が出ればやる事は1つだ。
 この女をさっさと家から追い出すだけ。そして、もう来ないようにと念を押して伝えなけらばいけない。もしそれでも来るようなのであれば、脅してでも女とは縁を切る必要がある。「早く帰れ」と伝えるはずが、先に口を開けたのは、女の方だった。




 「もしかして、山男さんって、神様なの?」
 「は?」


 思わぬ言葉に、矢鏡は気の抜けたような声が口から洩れてしまった。
 あまりに、唐突で予想だにしていない問いかけだった。この女は何を言っているのだろうか。


 「だ、だって!こんな山奥に1人で住んでいて、こうやって助けてくれて。妹の事も知ってる。蛇神様なんじゃないの?」
 「おまえ、何を考えているんだ。こんな神様がいてたまるか。俺はただ一人で生きていきたいだけの、人間だ。おまえの予想は外れだ。残念だったな」
 「山男さんが神様なら、私の事殺さないかなって。優しいから妹ももしかしてどこから生かされているかもって……。私も殺さないで、村から逃げられる?」
 「だから違うって言ってるだろ?それにおまえは帰る場所があるんだ、どうして村から逃げる必要が」
 「妹を殺したんだよ。村の人も、両親も。そして、私の事だって。そんな所になんか帰りたくない」
 「……………」


 言葉を紡いだ彼女の目にどんどん涙が溜まり、微かに体を震わせたまた怯えたまま、か細い声でそう気持ちを打ち明けた。
 当たり前の感情だろう。村のためと言われて命を捨てる事を強要された実の妹。彼女は最後にどんな言葉を交わしたのだろうか。きっと家族の前では泣くことされも許されなかったはずだ。村を助けるために命を捨てる事が正しいと思っている連中なのだからきっと「名誉の死」などと言っているのだろう。
 それに、次の人身御供は自分だと言われているのだ。白無垢の女が崖から落ちる際に、皆を呪うような言葉を放ったのと、目の前の女は同じ気持ちなのだろう。
 そんな気持ちを矢鏡は、想像さえしていなかった。
 助けてくれるはずの家族が敵となり、村のため他の人々のために自分は死ぬ。それが正義とされているのだから。そんな気持ちになるのは予想できたはずなのに、早く帰れと言ってしまっていた。


 けれど、銀髪の自分の元に隠れて過ごしていて、幸せになれるのだろうか。
 いや、それは絶対にありえない事だ。矢鏡が、今までの人生でそれは無理だと証明しているのだから。
 彼女は自分から村に帰ろうとはしないだろう。家族と村に怯え切っている。
 だが、矢鏡と共にいれば、もしかすると死より辛い扱いを受けるかもしれない。いや、「呪われた者」として、無様に処分される恐れだってある。


 ならば、方法は2つしかない。
 人身御供となり、死ぬか。矢鏡のように逃げて孤独に暮らすか、だ。



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