水もしたたる善い神様 ~沈丁花の記憶~
この鈴が聞こえてくる理由は1つ。
雨の日を止めるために娘一人を犠牲にする儀式。人身御供のためだ。
確かに、最後にあの女と話してからもう5日以上雨が降り続いている。そして、あの女は1度も矢鏡の家に来ることはなかった。
たかが数回会っただけの女なのだから、放っておけば良いのかもしれない。ただ、矢鏡の髪を褒め、人身御供にされる事に怯えていただけの女なのだから。
………それだけの、女なのか。
そんなはずはないだろう。
今まで、矢鏡の事を「綺麗」「神様みたい」と褒めてくれた人はいただろうか?外見を褒めるだけではなく「優しい」と言ってくれ、頼ってくれた。
不安になったり、恐れたり、拒絶したりする人間ではない人が他にいるはずもない。
自分にとって、心が温かくなる言葉をくれた唯一の人。自分の存在を認めてくれた。
そんな彼女を助けなくていいわけがない。
その答えが出るまでそう時間がかからなかった。すぐに立ち上がり、頭巾もかぶる事もせずに、弓矢と短剣だけを持って、家を飛び出した。
雨が降った時の山道は、泥となり滑る。何度も転び、泥だらけになりながら、七五三鈴の音の後を追った。その音は泥道のためかなりゆっくりと進んでおり、まだ矢鏡の家の近くだった。
走ってきたので矢鏡の呼吸は荒かったが、それでも何とか息を潜めて、人の気配がする方を木々の間から盗み見る。すると、前回と同じように白い装束を着た人々が一列に並んでゆっくりと歩いている。もちろん、七五三鈴をもっている人間もいる。だが、決定的に違うことがあった。それは、白無垢を着た女がいないのだ。その代わりに駕籠を持った男が加わっていた。矢鏡は、きっとあそこの中に女が入っているのだろうと思った。
矢鏡の知っている女ではない可能性もあるが、嫌な予感がする。きっと、あそこの中には「また会いに来る」と告げた女が白無垢姿で座っているはずだ。きっと怖さで震え、今からの事を想像しては泣いているのだろう。
そう思うと、矢鏡はすぐに走り出した。
嫁入り行列の信仰は大分遅い。
そうなれば、崖につくのも時間がかかるはずであるし、前回と同じであればお経を読む時間もあるはずだ。
そう考えた矢鏡は一気に山道を下った。目指した場所はもちろん、崖の下にある川だ。あの女と降りた時はかなり時間がかかってしまったが、矢鏡だけであれば、簡単に到着する。山道がぬかるんでいるが、それを利用しながら滑り落ちるように目的地へと向かった。
雨が降り続いているため、いつもより水量が多くなっているが変わらない川の姿を見えてきた。と、思った。
「な、なんだ。あれは……」