水もしたたる善い神様 ~沈丁花の記憶~
あの日。
河女を助けるために、矢鏡は巨大な白い蛇に向かって矢を放った。
だが、距離があったため威力は落ち、少し軌道がずれて真っ赤な瞳にはあたらずも鱗に当たった。だが、固い鱗なのか、矢は刺さらずにあっけなく川瀬に落ちてしまった。だが、矢を当てられたと気付いた白蛇は、崖の上から矢鏡の方へと目を向けたのだ。そして、ぎろりと怪しげな赤い瞳が光ったと思うと、口を大きく開けて、威嚇の音を鳴らすと、巨体にもかかわらず、ものすごいスピードで矢鏡の方へと迫って来たのだ。
「くっそ!」
矢鏡は焦りながらも、何度も矢を射って攻撃を繰り返す。けれど、焦りと恐怖から、いつもの精度が高い攻撃は繰り出せずに全てが硬い鱗に阻まれてしまう。そうしているうちに呆気なく手持ちの矢はなくなる。矢鏡が舌打ちをしたと同時に、蛇の体当たりを正面からまともにくらってしまった。あまりの衝撃の大きさと早さに、矢鏡は声を上げる暇もなく、森の木に体を打ち付けられ、そのままドサリと地面に投げ出された。
「ぅぅ、何て力だ……。本物の、化け物だ」
自分なんて銀髪というだけの人間なだけだ。何の力もなく、見た目だけ違う、非力な存在だ。化け物なら、化け物らしく、強い力や早く走れる足や、空を飛べる翼でもあった方がよかった。銀髪など、何の役にも立たないではないか。
打ち付けられた背中や胸は呼吸をする度に悲鳴を上げたくなるほど痛んだ。足もどこか痛めたのか立ち上がるだけで激痛が走る。だが、どうにか腕だけは上がる。矢鏡は顔にかかるきらきらと光る銀髪をかきあげた。
あぁ、でも、あいつはこの役に立たない銀色の髪を綺麗だと褒めてくれた。1人の人間を笑顔に出来た。それだけで、役に立ったと言えるのではないか。
その女の命を助けるために、自分はあの化け物を倒そうとしたのだ。ここで、自分の非力を恨んでもただ死ぬだけ。近くに落ちていた自分の弓と、跳ね返って来た矢を拾い上げて、矢鏡はゆっくりと立ち上がった。