水もしたたる善い神様 ~沈丁花の記憶~
紅月は体を支えていた矢鏡を弱々しい力でグイッと押してきた。
ヨロヨロと立ち上がり、矢鏡の体をそのまま押し続ける。
「……紅月?おい、何をするんだ……」
「………もうおしまいです。私はもうあと2日で死んでしまうし。いつもの通りだと、明日はほとんど意識もなくなってしまうので。弱った姿はもうこれ以上見せたくないんです。だから、もう夫婦はおしまいです」
「何を勝手な事を。それにさっきから最後というが、それはどういう事なんだ?契約では、ずっと生まれ変わるんじゃないのか?」
「それは………」
「25歳で死ぬなんて、おしまいにしてやる。俺が、呪いなんか祓ってやるから。だから、教えてくれ」
「そんなの無理です。蛇神の約束は絶対なんですから。……それに、今回でおしまいなんです」
「それは、どういう意味なんだ?」
話しを聞くまで矢鏡が去ってくれる事はないとわかったのか、紅月は矢鏡を押していた手を力なく下ろした。
「本当は全部話さないで死んでいく予定だったんですよ。左京様には心配させてくなかったから。カッコ悪いですね、私」
「何も話さないで死んだら、俺は怒っていた。今でも、怒ってるんだぞ」
「……それは困りますね。私は、左京さんに喜んで、笑っていて欲しかったので」
諦めたように、小さく息を吐き、紅月はいつものように笑みを浮かべた。
今までと変わらない笑みに、矢鏡は場違いに安堵してしまう。紅月には泣き顔よりも笑顔でいてほしい。それは矢鏡であっても同じ事だった。矢鏡は、紅月の頭を撫でて後、涙が溜まった目尻に指先を落とす。すると、紅月は「冷たくて、気持ちいいです」と、矢鏡の手に自分の温かく柔らかい手を重ねながらふわりと笑った。
この笑顔が見られなくなってしまう。大切な愛しい人のこの笑顔を守りたい。弱々しくも可憐に咲く花のように華やかな紅月の笑みを見つめ、矢鏡は目を細めながらそう強く思った。必ず、守り抜く、と。
「私が蛇神様と約束を交わしたのは数百年前です。人身御供のための条件は25歳で死ぬ事と、処女である事」
「………」