Forever Dreamer
「葉月……」
「なぁに?」
その日も帰りがけ、ゆっくりと車椅子を押して外来のエントランスに向かう途中、伸吾は真弥に歩みを止めてくれるように頼んだ。
「葉月は4月から3年だろう? 俺も学年は3年にはなるんだけど、このザマだから病院内の教室では2年の頭からやり直してる。高校もどうなるか分からない」
「うん」
「もしそれが原因で、葉月がこの先負担に思う時があったら、その時はいつでも素直に言ってほしい……」
伸吾の両親から、一度真弥の気持ちを確かめておくように言われ、ここ数日考えていた質問の言葉。
伸吾の問いに、もし真弥がイエスと答えれば、自分は身を退くつもりでいたから。
でも……、
「もぉ……。わたしがそんなことくらいで我慢できなくなると思う? 他の子の考え方は分からない。でも、わたしはあの席替えの日をちゃんと覚えてるよ。どれだけあの日から助けてもらったか……」
少し頬を膨らませて怒っているようにも見えたけれど、すぐにいつもの彼女に戻って続けた。
「卒業式の日にした『元気になったら旅行に行こう』って約束はわたしの中ではまだできていないもん。わたしは伸吾くんの応援があったから手術を決められた。車椅子だからなに? わたしが押せばいいだけのことだよ」
「葉月……、強くなったな……」
あの当時は、思いがあってもいつも言い出せず、じっと耐えているような姿を見てきたのに。自分と会えなかった時間に彼女に何があったのか。
「ううん。まだ泣き虫なのは昔のまま。きっとこれからも変わらないよ。でも約束するよ。わたしはずっとここにいるよ。ううん。伸吾くんが許してくれるなら、いさせてほしい……」
真弥が車椅子の正面に立って、顔の高さを合わせる。
「葉月……」
「だめ……かな……」
「だめ……なわけ、ないだろ! 俺、きっと葉月が来てくれなかったら、まだ眠ったままだったかもしれない。こんなにリハビリしようと思うことなかったと思う……。葉月がいてくれるから……」
「うん」
真弥は車椅子を押したまま一度エントランスの外に出た。
「葉月?」
「すぐに戻すから、ちょっとだけ……ね……」
いつもは横を通り過ぎるだけの病院の花壇の奥に置かれているベンチ前まで来て立ち止まる。
「伸吾くん、帰ってきてくれてありがと……。大好き……」
細い両腕がふわりと伸吾を抱きしめている。あの頃から二人が並んでも同学年に見られないくらい小柄な女の子だった。こんな細い腕にいつまでも自分の車椅子を押させるわけにいかない。
同時に、あのリボンと同じ匂いが彼女のサラサラな髪からする。これも小学生の頃から変わっていない。
そんな髪に手を伸ばしたとき、唇がそっと塞がれていることに気づいた。
「葉月……?」
「ありがとう。わたしにもう一度チャンスをくれて……。約束する。ずっとそばにいるから」
真っ赤な顔で恥ずかしそうにしている正面の少女は小指を差し出していた。
「葉月……」
その指に自分の小指を絡める。
「もう、わたしも伸吾くんって呼んでるんだから『真弥』って呼んで? さっきの……はじめてだからね?」
突然のことに冗談かと思ったけれど、昔から真弥は嘘だけはつかないことを思い出す。
小学校の卒業式の日、手術をして「元気になったら会いに行く」との約束を彼女は実行してくれたのだから。
「葉…じゃなかった真弥……、それって簡単に渡さないんだろう?」
小学生の頃から、女子がよくしていた『ファーストキスは簡単には渡さない』という話を思い出す。
「そんな話をしていた子も昔いたね。大本命の男の子に渡せたんだもん。ひとつ夢が叶って、わたしは大満足だよ」
次にどんな夢を叶えようか? それは焦ることなく、二人でゆっくりと考えていけばいいのだから。
そんな二人を、柔らかい春の日差しを投げかける太陽だけが静かに見守っていた。