白衣とブラックチョコレート

ライバル??

「雨宮ー、入院来るから取ってくれるー?」

「は、はい!」

病室からステーションに戻ってきたところを大沢に呼び止められ、雛子は緊張で身体を堅くする。

「誰っすか?」

ひょいと横から出てきた恭平が、大沢の開いているカルテの画面を覗き込む。

「ん、いつもの」

「ああ……」

「??」

入院と聞いて少し真剣な表情をした恭平だったが、カルテを見た途端すぐにいつもの調子へと戻った。

「よく来る患者さんなんですか?」

雛子の問いに、恭平は頷く。

「そう。俺のプライマリー」

「入退院を繰り返してるってことは……もしかして重い病気の方ですか?」

「うーん、何とも……。まぁ関わりの難しい患者であることは間違いない。病棟上がる前に情報拾っといて」

それだけ言うと、恭平は病室の準備をするためステーションを後にする。雛子は大沢から聞いた患者の名前で、カルテを検索して開く。

「えーっと、篠原舞(しのはら まい)さん、二十四歳、疾患名は……」

(PFAPA……症候群?)

もはや、読めない。

あと十五分もすれば病棟も外来も入院準備が整うだろう。さらに雛子の気持ちを焦らせるのは疾患だけではない。

(っていうか、入院回数多過ぎ! これじゃ経過が追い切れないんですけど……!)

とりあえず直近の入院期間中に書かれたカルテを経過順に開いていく。その中で時々、文字が薄い色に変換されている部分があることに気付く。カルテの背景と同化しておりパッと見ただけでは何と書いてあるのか分からない。

(……? 何だろうこれ、反転させれば見えそうだけど)

雛子が薄い文字をドラッグし、反転させようとした時。

「ひなっち、今耳鼻科外来でオブザ中だから、とりあえず迎えに行く」

「あ、はい!」

残念ながら時間切れだ。残りのカルテはあとで見ることにして、雛子はカルテを閉じる。









(あ、あの人かな?)

外来に到着すると、すぐに篠原舞を見つける事ができた。

舞は車椅子に座り、外来の隅で点滴を受けていた。明るめに染められたツヤツヤセミロングの髪に、色白の肌は熱のせいか上気して色っぽい。少女と大人の両方の魅力を兼ね備えたルックスで、「モテそうだな」というのが雛子の率直な感想だ。

舞は少しうとうとしていた様子だが、恭平の姿を見つけるとぱっと花が綻ぶような笑みを浮かべた。雛子は舞に駆け寄り声を掛ける。

「篠原さん初めまして! 新人の雨宮と言います!」

恭平しか認知していなかった舞は最初驚いた様子だったが、すぐにまた花のような笑みを浮かべてくれた。

「初めまして、篠原舞です。よろしくお願いします」

同性の雛子ですら、思わずキュンとしてしまう笑顔。礼儀正しく挨拶をされ、何となく照れてしまう。

(すっごく優しそうな人! でも関わりが難しいって……PF……なんとか症候群ってどんな病気なんだろう? あとでちゃんとカルテ見ておかないと)

雛子の思考を他所に、舞は恭平に視線を向ける。

「こちらの病院には本当によくお世話になっているの。特にいつも担当してくれる恭平には……ね、恭平?」

潤んだ瞳で上目遣いをする舞。恭平も満更でもない様子で笑みを返す。

「今回は三ヶ月近く入院しなかったんだな。体調管理、頑張ったんだ?」

そう言って、恭平の手のひらが舞の頭部に置かれる。

(あ……)

置かれた手に、舞がさらに手を重ね、ムッとした様な表情を浮かべる。

「そうよ。頑張ったのに……また今日熱が出て……」

しゅんとした様子の舞に、恭平が今度は反対の掌を彼女の頬に当てる。

(なんか……モヤモヤする……)

雛子はそれ以上見ていたくなくて、車椅子の後ろに回り込む。

「さ、ではお部屋に案内しますね!」

そしていつもより少しだけ早足で、車椅子を押す手に力を込める。

病棟に向かうまでの間も、二人は手を繋いだり、恭平が舞の髪色を褒めたり……。まるで恋人同士のような振る舞いに、雛子は車椅子を押す役を恭平に頼めばよかったと今更ながら後悔する。

恭平は道中ずっと「指細いよね」やら「今回のネイルも可愛いね」などと何かと理由を作っては舞の手に触れている。

(うわー、桜井さんめっちゃチヤホヤしてる……。もしかしてこういう人がタイプなのかな? ていうか手フェチ? それとも付き合ってる??)

邪推してみるも、それが正解だとは何故だか認めたくない。何となく落ち着かない雛子だったが、自分が落ち着かない理由もよく分からない。






「はい、今回の入院はこの部屋ね。指示確認してくるから、バイタル測っといて」

思考の海に浸っている間に、いつの間にか病棟にたどり着いていた。準備していた個室に舞を案内しベッドに移ってもらったあと、雛子を残し恭平は一旦退室する。

「あ、はい、承知しました。では篠原さん、先にお熱測りますね」

雛子が差し出した体温計を受け取りながら、舞は小首を傾げて訊ねる。

「あなたは、恭平の直属の後輩なのね。三月に入院した時、後輩指導に付くことを聞いたの」

舞の問いに、雛子は少しだけはにかみながら肯定する。恭平のプリセプティになれたことは、看護師として最高にラッキーな出来事の一つだ。

「はい、そうなんです! プリセプターって言って、要は師弟関係のような」

「……そんなこと聞いてねぇよ」

はい?

という疑問符は、言葉に出来なかった。

「あんたみたいなブスでとろくさそうな子の指導なんて可哀想。っていうか、私の恭平に近付き過ぎ」

さっきまでの可憐な印象とは一変、舞は溜息を吐きながら、気怠そうに肩にかかった髪をかき上げた。

「はぁ……ったくせっかくベストタイミングで髪もネイルも仕上げてきたのに、あんた本当に目障りね」

「……はぁ」

「はぁ、じゃねーわよ。人の話聞いてんの? 邪魔って言ってんのよ。検温だっていつもなら恭平にして貰えるのに」

突然の変わり身に思考が追い付かず、雛子は間抜けな相槌しか打つことができない。

「あーあ。本当は今日マツエクも付けに行く予定だったのに、熱出すのあと一日遅ければなぁ〜」

膝に置かれた荷物の中からコンパクトを取り出し、角度を変えて何度も覗き込みながら舞が残念そうに唇を尖らせる。

それからもグズだの寸胴だのと罵声を浴びせられながら雛子がバイタルを図り終えた頃、ドアがノックされ恭平がひょっこり顔を出した。

「あっ、恭平〜! 遅いよぉ、もぅ〜」

途端に舞から、甘ったるい声が上がる。ここまで露骨な態度は珍しいが、恭平ファンの女性患者は概ねこんな様子だ。雛子の身体からがくっと力が抜ける。

「ごめん、はいこれ」

恭平の手には、追加のタオルケットが抱えられていた。恭平はそれを広げ、座っている舞の膝にそっと掛ける。舞はきょとんとした顔で、掛けられたタオルケットと恭平を見比べた。

「恭平どうして私が寒いって分かったの? 私いつも、入院したらすぐに氷枕をリクエストするのに」

雛子も同じ疑問を浮かべていた。高熱で入院する患者には、大抵ルーティンでクーリングを準備している。

「さっき手に触れた時冷たかった。末梢が冷たい時は、循環があまり良くないから無理に冷やさなくて良い」

(なるほど)

事も無げに言う恭平に雛子は心の中で納得する。一方舞の方は、瞳をハートにして恭平の言葉に頷いていた。

「それより……」

恭平は雛子がカルテに入力したバイタルを見つめ、溜息を吐きながら舞の額に手を置いた。

「四十度か……今回も高ぇな」

(あ……また……)

雛子の中に、再びモヤモヤとした気持ちが湧き上がる。

「熱に浮かされるその目を見ているとドキドキする」

(……)

至極真面目な顔で宣う恭平に、雛子は既視感を覚える。

「横になって……目を閉じてしっかり休んで」

(なんか……前にもこんなシーンを見たような……)

「恭平〜。目なんか閉じさせてどうする気〜?」

何かを期待して素直に横になり目を閉じる舞を尻目に、恭平は音もなく病室のドアをスライドさせる。

あとは任せた。

そんな言葉を、声に出さず唱えながら。

(あー……田中のおばあちゃん元気かなぁ……)

この後の展開が容易に予測され、雛子は束の間の現実逃避を試みる。

「恭平〜まだ〜? ……っていないじゃない! 恭平は!?」

思ったよりも早く現実に引き戻された。身体をゆさゆさと揺さぶられ、高熱の割に元気だなぁなどとぼんやり考える。

「ちょっと! あんたなんてどーでも良いのよ! 恭平探しに行ってきて!」

「は、はい〜……」

理由はなんであれ、とにかくこの部屋から出られるなら何でも良い。追い出してくれて助かったと思いつつ、雛子はすみやかに退室する。

状態をリーダーの大沢に報告する間、恭平に舞の相手をしてもらおう。そう思い、恭平の姿を探す。

「桜井さんどこ行ったのかな〜」

その姿は、案外すぐに見つかった。ステーション近くの個室の中に、恭平の明るい色の癖毛を見つける。

(桜井さん発見! と思ったけど、他の患者さん対応中なら仕方ないか〜)

そう思い、雛子が病室を通り過ぎようとした時だった。ちょうど恭平が振り返り、雛子の姿に気付くと少し慌てたように手招きをした。

「??? 失礼します」

恭平の慌てる姿に首を傾げつつ、雛子はドアをノックして入室する。恭平の向かいでベッドに座る患者の藤村翔太(ふじむら しょうた)が、自身の鼻付近を両手で押さえて俯いている。その指の隙間から、止めどなく血が流れているのが分かった。

「ごめん、処置室からアドレナリンで浸した綿球取ってきてくれる?」

「は、はい!」

雛子は言われた通り慌てて綿球を持ってくると、それを恭平が翔太の鼻に詰めて止血していく。

(カルテは読み込んでるけど……病室に入るのは初めてだな)

藤村翔太(ふじむら しょうた)、十五歳。病名は悪性リンパ腫。

恭平のプライマリー患者で、雛子がサブとして付くことになっている患者だ。鼻に綿球を詰め終わると、それ以上血液が流出してこないのを確認して恭平がベッドから離れる。入れ替わるようにして雛子はベッドサイドに膝をついた。

「初めまして、翔太君。雨宮雛子です」

「……」

翔太は雛子を一瞥すると、不機嫌そうに顔を背けた。

(うわー。噂通り、塩対応)

何せ思春期であり、他のスタッフにも愛想が良くないことはカルテやスタッフ間の申し送りで把握済みだ。そんな本人のキャラや感染予防の目的もあって、関わるスタッフはなるべく制限しているのだ。

「……血で汚れちゃってるし、着替えしよっか?」

気を取り直し、雛子は立ち上がると備え付けの棚に手を伸ばす。

「勝手に触んな!」

突然大声で叫ばれ、雛子はびくりと肩を揺らした。

「……恭平さんにやってもらうからいーよ。お前出てけよ。恭平さん、やってくれるよね?」

雛子に向けるのとは違う、信頼の眼差しが恭平に注がれる。

「おう」

恭平もまた、田中や舞に向けるのとは違う、素の笑みを浮かべていた。雛子は小さく会釈をして、ベッドのカーテンを閉めて病室を後にする。

病室から出てステーションへ向かう中、雛子は一つ小さく息を吐く。

(桜井さん、色々な患者さんに好かれてて凄いな……女性からは恋愛対象として、男の子からは憧れのお兄ちゃん的存在、おばあちゃんからは自慢の孫……いや、あれも恋する乙女の瞳だったか……)

「それに比べて私は……はぁ……」

さすがに少し、落ち込む。

経験年数や患者との付き合いの長さの違いはあれど、こうも拒絶されることが続くと自分の存在価値が危うい。

「いやいや、それは桜井さんが魅力的過ぎるってのもあるし!」

自分と比較するには、恭平はあまりにも人に好かれることに長けていた。女性からはもちろんのこと、不思議なことに男性患者からもよく可愛がられている。ナチュラルボーンとは、恭平のためにある言葉のような気さえする。

(とにかく落ち込んでいられないよね。私も頑張らないと)

ステーションに戻ると雛子は大沢に報告を済ませ、気を取り直して舞のカルテを読み直す。

(対応が難しいって……やっぱりそういうことね……)

先程は時間がなくて読めなかった部分をドラッグし、雛子は心の中で納得する。

そこには本人から発せられた数々の我儘な言動が載せられており、所謂モンスターペイシェントとして一部のスタッフの間では有名なようだ。恭平の前では一応可愛いふりをしているようだが、残念ながらこれでは筒抜けだろう。

そして舞の疾患、『PHAFA症候群』というのは、扁桃炎を周期的に繰り返す疾患だ。

体質的なものであり、外科的に扁桃腺を取り除いてしまうことで発熱を防ぐことが可能になる。

舞のカルテを延々と読み続けていると、やがて恭平がステーションに戻ってきた。雛子の姿を見つけると、ポンと一回、雛子の頭に掌を乗せる。

「さっきはサンキュ。助かった」

「いえ。むしろあれくらいしかできずにすみません」

触れられた頭を意識しないよう、雛子はカルテに目を落としたままそう返した。

「あ、篠原さんが呼んでましたよ。桜井さんじゃないと嫌だから探してこいって」

「またか……もう疲れた……」

舞の名前に、恭平が心底嫌そうな顔をする。

(二人の雰囲気、まるで恋人みたいだったけど……あれ、桜井さんの営業スマイルだったのか……)

その事実に、雛子は何故だかほっとする。

「あ、そうそう。翔太のプライマリーの件だけど」

「はい?」

「話しただろ。サブに付けるって」

もちろん雛子もそのつもりでいたものの、ファーストコンタクトがあの様子だったことに不安を覚える。

「確かにそう聞いてましたけど、でも本人があんなに拒絶してるのに本当に付くんですか?」

「ああ、あれは拒絶ではない」

雛子の不安を、恭平はこともなげに一蹴する。

「鼻に綿詰めてるところ見られて恥ずかしかっただけ。ましてや着替えで裸見られるなんざ思春期ボーイにとっては万死に値するんだよ。まぁ俺なら嬉しいけど」

「っ……桜井さんの変態っ!」

雛子は何故か、ナースコスプレの舞が恭平の服を脱がせるシーンを想像し、慌てて頭を振った。

「まぁ思春期なのは本当だし。女性スタッフにはみんなあんな感じ。とりわけ新人のお前には当たりが強いんだろ、気にするな」

恭平の言葉に、雛子は少しだけ胸を撫で下ろす。

「じゃあ、私が嫌われてるわけじゃないんですね」

「ああ、女がみんな嫌いなんだそうだ。警戒心はマーモットくらい強い」

「……マ、マーモット……? それって、嫌われてるんじゃ」

……やはり不安は拭いきれない。

「まぁうちの病棟は俺以外みんな女性スタッフだし、少しは妥協してもらわないとな」

それだけ言うと、恭平はステーションから出ていく。恐らく舞の元へ向かったんだろう。なんだかんだ言って、患者のニーズにはなるべく応えるのが恭平のスタンスだ。

雛子は以前から読み込んでいた翔太の情報について思考を巡らせた。

両親と年の離れた妹の四人家族であることから始まり、ずっとサッカー少年で将来はサッカー選手を夢見ていたこと。一年ほど前に悪性リンパ腫の診断を受け、当初は寛解(かんかい)しやすい型だと思われていたこと。骨髄移植を受けたが、適合が上手くいっていないこと。

そして今の薬が効かなければ、もう治療法が残されていないこと。

両親や本人の発言の記録には思わず涙が溢れそうになり、雛子は何度も強く瞬きしながらカルテを読んだ。

彼の命は今、最後の治療法に委ねられている。

カルテの内容を思い出し、雛子は再び強く瞬きをした。深呼吸をして、悲しい気持ちに一旦蓋をする。

その時、雛子が首から下げているPHSが鳴った。相手は恭平だ。

「はい、雨宮です」

『舞が着替えたいそうだから頼む』

(……舞。篠原さんのことそんな風に呼んでたのか)

人にはひなっちなどと変なあだ名を付けるくせに、可愛い患者は呼び捨てにするらしい。

そんなどうでもいいことを考えつつ、雛子は清拭タオルを準備して病室に向かう。

「失礼しまーす」

病室に着くと、舞が恭平の腕に絡みついて子どものように駄々を捏ねていた。

「いーやーよー! 恭平が着替えさせて!」

「今日の受け持ちは彼女だし、同性の方が良いでしょ」

「どうして!? せっかく可愛い下着着けてきたのにー!」

「下着姿なんて見たら……俺止められなくなるよ?」

「きゃー! 恭平のエッチー!」

(何この茶番……)

雛子は思わず白目を剥いて口からエクトプラズムが抜けそうになる。

「悪い、あとは頼んだ」

目くらまし作戦で病室から退散する恭平に、雛子は意を決してベッドへと近付く。

「はいはい、篠原さーん。着替えしましょうね〜」

「はぁ!? またあんたなの!? 恭平はっ!?」

色々とごねる舞だったが、渋々雛子が着替えさせることを了承させ何とか服を脱がせるところまで持っていく。ふと雛子の持ってきていたタオルに、舞の目が止まる。

「それ……ホットタオル?」

「あ、はい、熱も高いし汗もかくだろうから、着替えるなら必要かと……」

「ふーん……まぁ、良いんじゃない」

大人しく服を脱ぎ始めた舞に、雛子は胸を撫で下ろす。そして今度は雛子が、ある一点に視線が釘付けとなる番だった。

(お、おっぱいが……大きい……)

そこにはまるで風船でも詰めているかのような二つの膨らみが、たっぷりとフリルをあしらった可愛らしい下着から溢れんばかりに主張していた。

「っ……」

なるほど、これなら恭平の前で惜しげもなく晒せるだろうし、むしろ見て欲しいと思うものなのかもしれない。

「ちょっと何じろじろ見てんのよ……ふーん……?」

あまりにも釘付けとなっている雛子に舞は気付き、すぐさまその視線の先に検討が着いた様子だった。そして一言。


「……まな板ねぇ」



「なっ……!?」

あまりにもストレートな表現に、雛子は口をパクパクさせながら自身の胸元を押さえた。

「まぁ見入っちゃうのも無理ないわ。私って可愛いしスタイルも良いもの。触ってみる?」

「け、結構です!」

自分でそこまで言える人間というのもなかなかいないだろう。巨乳とはここまで人格形成に影響を及ぼせるのか。

雛子は着替えのパジャマに点滴を通す手伝いをして、あとはなるべく舞の身体を見ないように目を伏せていた。

「恭平って良い男よね〜。あなたもそう思うでしょ?」

一方、女として完全にマウントを取った形の舞はご機嫌だ。話の内容が変わったことで、雛子の気持ちも少しだけ持ち直す。

「まぁ確かに、桜井さんはルックスも良くて仕事もできて、色んな患者さんにモテモテですね」

「そうよね! まぁ恭平の一番は私だけど! きゃー!」

(結局そういうオチになるのね……)

背中をぞんざいにしばかれながら、雛子は内心ゴチる。

「……なんか篠原さん、熱の割には元気ですね」

思わず本音が口を突いた。舞は一瞬きょとんとした様子を見せたが、すぐに小悪魔のような笑みを浮かべる。

「んーまぁそうね。実際喉が痛くて食事が取りにくいくらいだし。仕事も休めてちょうど良いのよね〜。先生には手術を勧められてるけど、そんなことしたらもう恭平にも会えなくなるし?」

こともなげにそう言ってのける舞。雛子の頭に、血塗れになっていた翔太の姿が浮かんだ。

雛子の中で何かが弾ける。

「……で下さい」

「はぁ? なに?」

俯いた雛子の呟きを、舞は聞き取れなかったようだった。雛子はキッと視線を上げ、はっきりと告げる。

「病院を休憩所みたいに使わないで下さい 」

病室はしんと静まり返る。舞の鋭い視線に居竦まらないよう、雛子はぎゅっと拳を握り締めた。

「……あんた、患者に向かって何言ってんの?」

舞の低い声に、全身の筋肉が緊張する。雛子は一呼吸置いて、一気に捲し立てる。

「ここには帰りたくても帰れない、命かけて戦ってる人もたくさんいる。だからそんなこと言わないでっ!」

再び静まり返った病室。直後、舞がくすりと小さく笑う。

「……あんた生意気ね」

にやりと口角を上げたその顔に、思わず頭に昇った血がすっと引いていった。

「あんたは私に説教できるほど偉いの? クレームとして師長に言いつけても良いのよ?」

どうする? と見上げる表情は、口元こそ笑っているものの眼光は鋭かった。雛子はきつく唇を噛み締め、深々と頭を下げた。

「……すみませんでした。以後気を付けます」

そして使用済みのタオルをまとめると、足早に部屋を後にした。

雛子が去った後も、舞はしばらく病室のドアの方を見つめていた。


「ふぅん……雨宮雛子、ねぇ」










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