白衣とブラックチョコレート
伝わらなかった声
「さっちゃーん。早く帰ろうよ。ね? ね?」
慣れたもので、幸子は検査技師の指示にすんなりと従いあっという間にレントゲン撮影を終えた。
これなら中川の手術にも充分間に合いそうだとほっとしたのも束の間。
問題は病棟に戻るまでの道程だった。
「雛子こっちだ、着いてこい」
検査くらいしか堂々と棟外に出ることができないためか、幸子はあれこれと理由を並べては寄り道ばかりしており、なかなか病棟に帰ろうとしない。
「雛子、階段で病棟に戻るぞ」
「ええ〜っ!?」
院内に併設されている売店やらカフェやらに寄りたがる幸子を何とか宥め透かしようやく戻ることに了承を得たものの、今度は一階から八階まで階段で帰ると言い出した。
しかもグリコをやりながら。
「さ、さっちゃん? 一応病み上がりなんだから、無理はしない方が……」
「無理などしていない。暇だし元気だから歩きたいだけだ」
有無を言わさず雛子の手を引っ張って幸子が向かった先は、患者が使用できる中央階段ではなくスタッフ用通路となっているB階段だった。
幸子はさすが院内を庭と呼ぶだけのことはあり、ここを通ればナースステーションの前を通らずに彼女の入院している病室の前に出ることができると知っていたようだ。
「なるほど……いつもいつの間にか脱走してるって聞いてたけど、ここを使ってるってことなんだね……グーリーコ」
子どもだと思って侮ることはできないな、と感心する。
雛子は時間と自身の体力を気にしつつも、エレベーターまで誘導する方が骨が折れると踏み、意を決して階段を上り始めた。
「そうだ、サチは天才なんだ。ここの存在を知ってからというもの、こっそり抜け出したがっている患者がいたらアイス一つで教えてあげている。パーイーナーツープール」
「ええっ!? ダメだよそんなのっ!」
そんなことをして患者の身に何かあったら大事だ。顔を青くする雛子に構うことなく、幸子は得意気に鼻を鳴らす。
「チーヨーコーレーイート! 皆喜んでサチにアイスを差し出すぞ? この前も一人教えてあげたんだ。一番端っこの個室に入院している女の人」
端の個室、女の人。そのワードで、雛子の頭にある人物が浮かぶ。
「えっ、河西さん!?」
「そう、確かそんな名前だ。パーイーナーツープール」
意外な人物の名前に、雛子は驚きの声を上げる。
彼女は事件の被害者であり重要参考人のため、基本的に不必要な出歩きは禁止されているのだ。ましてや足を負傷しており、まだリハビリ以外の歩行は室内移動しか許可されていない。
しかし、もしかしたらその鬱憤が溜まってコンビニにコーヒーの一つでも買いに行きたかったのかもしれない。
(やっと怪我も良くなってきたところだし……そりゃ狭い部屋で毎日毎日警察から事情聴取受けてるだけじゃ、余計に気も滅入るよねぇ……)
ただでさえ恋人を亡くし傷心しているところに、警察によって面会も禁止されており一人で過ごしている河西に雛子は同情する。
そんな話をしながら階段を上っている時、雛子が持っていたPHSが鳴り響いた。表示された番号で、相手が恭平だと分かる。
「はい、雨宮です」
『────い、────ど────だっ────』
相手の声はやはり恭平だった。しかし場所が悪く、電波が届かないため内容が聞き取れない。
だが、何となく雰囲気で『お前、今どこにいるんだ?』と聞かれたような気がする。
「あちゃー、桜井さんすみません。電波悪くて、ちょっとよく聞こえなくて。これから病棟戻るんで、もう少しお待ちください」
『聞こ────て────のか!? ────い!! 雨宮っ!!』
「す、すみません……切りま〜す……」
果たして恭平にちゃんと伝わったかは定かではないが、ここにいる限りは永遠に電波が届くことは無いだろうと一先ず電源を切った。
それにしても最後の最後、苗字で呼ばれたことだけはハッキリと分かった。これは後で大目玉のパターンかもしれない。
「うう……まずいよ〜さっちゃん……。戻るのが遅いからお叱りの電話だよ絶対。早く戻らなきゃ」
ただでさえ恭平の差し伸べてくれた救いの手を振り払って来たのだ。これで「やっぱりできませんでした」は何としても回避したい。
「怒られるのはサチじゃなくて雛子だ。サチには関係ない」
「そ、そんな殺生な〜」
慣れたもので、幸子は検査技師の指示にすんなりと従いあっという間にレントゲン撮影を終えた。
これなら中川の手術にも充分間に合いそうだとほっとしたのも束の間。
問題は病棟に戻るまでの道程だった。
「雛子こっちだ、着いてこい」
検査くらいしか堂々と棟外に出ることができないためか、幸子はあれこれと理由を並べては寄り道ばかりしており、なかなか病棟に帰ろうとしない。
「雛子、階段で病棟に戻るぞ」
「ええ〜っ!?」
院内に併設されている売店やらカフェやらに寄りたがる幸子を何とか宥め透かしようやく戻ることに了承を得たものの、今度は一階から八階まで階段で帰ると言い出した。
しかもグリコをやりながら。
「さ、さっちゃん? 一応病み上がりなんだから、無理はしない方が……」
「無理などしていない。暇だし元気だから歩きたいだけだ」
有無を言わさず雛子の手を引っ張って幸子が向かった先は、患者が使用できる中央階段ではなくスタッフ用通路となっているB階段だった。
幸子はさすが院内を庭と呼ぶだけのことはあり、ここを通ればナースステーションの前を通らずに彼女の入院している病室の前に出ることができると知っていたようだ。
「なるほど……いつもいつの間にか脱走してるって聞いてたけど、ここを使ってるってことなんだね……グーリーコ」
子どもだと思って侮ることはできないな、と感心する。
雛子は時間と自身の体力を気にしつつも、エレベーターまで誘導する方が骨が折れると踏み、意を決して階段を上り始めた。
「そうだ、サチは天才なんだ。ここの存在を知ってからというもの、こっそり抜け出したがっている患者がいたらアイス一つで教えてあげている。パーイーナーツープール」
「ええっ!? ダメだよそんなのっ!」
そんなことをして患者の身に何かあったら大事だ。顔を青くする雛子に構うことなく、幸子は得意気に鼻を鳴らす。
「チーヨーコーレーイート! 皆喜んでサチにアイスを差し出すぞ? この前も一人教えてあげたんだ。一番端っこの個室に入院している女の人」
端の個室、女の人。そのワードで、雛子の頭にある人物が浮かぶ。
「えっ、河西さん!?」
「そう、確かそんな名前だ。パーイーナーツープール」
意外な人物の名前に、雛子は驚きの声を上げる。
彼女は事件の被害者であり重要参考人のため、基本的に不必要な出歩きは禁止されているのだ。ましてや足を負傷しており、まだリハビリ以外の歩行は室内移動しか許可されていない。
しかし、もしかしたらその鬱憤が溜まってコンビニにコーヒーの一つでも買いに行きたかったのかもしれない。
(やっと怪我も良くなってきたところだし……そりゃ狭い部屋で毎日毎日警察から事情聴取受けてるだけじゃ、余計に気も滅入るよねぇ……)
ただでさえ恋人を亡くし傷心しているところに、警察によって面会も禁止されており一人で過ごしている河西に雛子は同情する。
そんな話をしながら階段を上っている時、雛子が持っていたPHSが鳴り響いた。表示された番号で、相手が恭平だと分かる。
「はい、雨宮です」
『────い、────ど────だっ────』
相手の声はやはり恭平だった。しかし場所が悪く、電波が届かないため内容が聞き取れない。
だが、何となく雰囲気で『お前、今どこにいるんだ?』と聞かれたような気がする。
「あちゃー、桜井さんすみません。電波悪くて、ちょっとよく聞こえなくて。これから病棟戻るんで、もう少しお待ちください」
『聞こ────て────のか!? ────い!! 雨宮っ!!』
「す、すみません……切りま〜す……」
果たして恭平にちゃんと伝わったかは定かではないが、ここにいる限りは永遠に電波が届くことは無いだろうと一先ず電源を切った。
それにしても最後の最後、苗字で呼ばれたことだけはハッキリと分かった。これは後で大目玉のパターンかもしれない。
「うう……まずいよ〜さっちゃん……。戻るのが遅いからお叱りの電話だよ絶対。早く戻らなきゃ」
ただでさえ恭平の差し伸べてくれた救いの手を振り払って来たのだ。これで「やっぱりできませんでした」は何としても回避したい。
「怒られるのはサチじゃなくて雛子だ。サチには関係ない」
「そ、そんな殺生な〜」