白衣とブラックチョコレート

助けられない

幸子の検査出しに行ってから随分と経つのに、雛子が帰らない。

終始時間を気にかけながら、恭平は他のスタッフの手伝いに回っていた。

(……ったく、一人でやるとか意気込んでたくせに、結局時間押してるじゃねぇか)

きっともうすぐ帰ってくるのだろう。そう思い、自分を納得させながら業務をこなす。

しかし恭平の思いとは裏腹に、その後ナースコール対応や薬剤チェックなどいくつかの仕事を終えてステーションに戻ったが、雛子はまだ帰っていないようだった。


「遅過ぎんだろ……どこで道草食ってんだ……」


思わずそうボヤきながら、恭平はパソコンの前に座り今度は事務仕事をし始める。何をしていても雛子のことが頭にちらつき、正直、業務効率は普段の六割程度まで落ち込んでいると思う。


リーダー席ではいつもの如く仏頂面をしたままの石川がシフト作りに頭を悩ませていたが、それは彼女の持つリーダーピッチが鳴ったことによって中断される。

「……はい、8Aの石川ですが」

シフト作りを邪魔された石川が、若干不機嫌そうな声で電話に応じた。

(緊急入院か?)

だとしたら自ずとフリーの恭平が対応することになるだろう。

なるべくなら雛子のサポートをしてやりたいのに、面倒だな。

そんな事を考えながら電話対応する石川の様子を盗み見ていると、突如、彼女がその鉄仮面に困惑の表情を浮かべた。

(珍しい……またよっぽどの重症患者か?)

あのボンクラ外科医が来てから碌なことがない。また、何事にも動じない石川がこんな表情を浮かべたところも見たことがなかったため、僅かに身構えた。

「……え!? はい、はい……分かりました……」

石川は一通り電話を終えて通話を切ると、自分自身を落ち着かせるように一旦深呼吸してから、すぐステーションにいるスタッフに向き直った。

「皆さん落ち着いて聞いて下さい。緊急避難命令です。一階の外来ロビーと二階のカフェラウンジで刃物を持った人物が次々と人を襲ったそうです」

「はっ……?」

恭平の胸を嫌な予感が駆け巡る。ステーションに何人かいたスタッフ達もザワついた。

「目撃されている犯人の人物像は何れも三十代ショートカットの女性、当院貸し出しの病衣を着用、右足を引きずっている、そしてB階段を使って現在逃走中ということよ」

「それってまさか……」

その犯人の特徴に、この病棟のスタッフなら心当たりがある。しかし石川は首を横に振る。

「まだハッキリしたことは分からない……でもこのままだといつ病棟が襲われてもおかしくない。すぐに患者さん達を避難させましょう」

「は、はいっ!」

スタッフ達が一斉に受け持ち患者のところへと散らばる中、恭平は一人、PHSを掴み素早くボタンを押した。暫くコールがあったあと、相手が通話に出た気配がする。

「雨宮!? お前今どこだ!」

思わず声を荒らげる。


『────桜井さ────ませ────電────くて。────病────で、────お待────い』


電波が悪い場所にいるのか、声がよく聞こえない。


(エレベーターの中か……? それともまさか……)


まさか、よりによってB階段を使っているということは、ないだろうか。


「雨宮!! 聞こえてたら返事しろっ!!」


その最悪の可能性に、思わず血の気が引く。


「今B階段にいるのか!? おい!! 雨宮っ!!」


しかしそのまま電話は通じることなく、やがてプツリと切れてしまった。


「クソッ……!! 石川さん、俺は雨宮を探しに」


「桜井君は中央エレベーター側から患者を誘導してちょうだい」


咄嗟にB階段に向かおうとした恭平を止めたのは石川だった。

「いやでもっ、アイツがっ……」

はっとして足を止める。だが雛子とてこのままにしておくわけにはいかない。

「駄目です。我々は患者を避難させることが最優先。スタッフ探しは後です」

迷いなくそう返され、恭平は返答するすべがない。

(ちくしょうっ……)

心の中が焦燥感で支配される。思い出すのは、唯を失ったあの日のこと。


もう二度と、大切な誰かを失いたくはない。


(それなのにっ……!!)

恭平はきつく唇を噛み締め、しかし石川の指示に従うほかなく、中央エレベーター方面へと走った。












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