白衣とブラックチョコレート
それから数日間。頻回なナースコールに振り回されつつも、何とか怒涛の連勤を乗り越える。

七月を迎え、もう夏本番はすぐそこまで迫っていた。

「じゃ、また来るわね〜」

「……もう来なくていいです」

「何か言った?」

入院中とは違い、バッチリメイクした目で睨まれるといつにも増して凄みがある。

「……イエ、別に」

明後日の方向を見ながら、雛子は舞を送り出す。この度やっと、本当にやっと、篠原舞が退院となった。



(はぁ〜一つ肩の荷が降りたぁ〜! 記録も時間内に書けるし他の患者さんとも関われる!)

頭に浮かぶのは、自ずと翔太の顔だった。

(桜井さんは染まっていない関わりが必要とか言ってたけど……)

具体的にどう関われば良いのだろう。意識すればするほど、何だかぎこちなくなってしまう気がする。

それはつまり、期待されている関わり方とは違うということだ。

「よし! とりあえず余裕が出来た分たくさん話すしかない!」

サッカーのルールもちゃんと覚えてきたし、と雛子。気合を入れて翔太の病室へと向かう。

「失礼します」

パソコンとバイタルセットを乗せたカートを転がしながら軽くノックをしてドアを開ける。

「おはようございます」

ベッドサイドのパイプ椅子にはスーツ姿の母親の姿があった。雛子の挨拶に母親もにこやかに返してくれる。本人の翔太はというと、ベッドに胡座をかいて母親の剥いたリンゴを頬張っているところだった。

「なんだよ……またあんたか」

「ご、ごめんね?」

雛子の姿を見るやいつにも増して低い声で睨み付けてくる。その姿に、母親は困ったような笑みを浮かべながら窘める。

「こら、そんな口の利き方しないの」

恐らく母親と一緒にいるところを見られているのが気恥しいのだろう。

「ごめんなさいね、失礼なこと言って」

「いえ、お気になさらず」

普段から素っ気ないので、もはやこの程度のぞんざいな扱いは可愛いものだ。

それよりも、雛子が緊張していたのはむしろ母親の方だ。患者の家族、とりわけ翔太の母親の態度は彼の体調に左右されやすい。

(良かった。今日は翔太君の体調が良いから……)

直接話すのは二回目だが、前回より柔らかい雰囲気の彼女に雛子は内心ほっと息をつく。

和やかな雰囲気で検温を終えた頃、母親は華奢な腕時計に目をやり立ち上がるとパイプ椅子を畳んだ。

「仕事を中抜けしてるので、今日はこれで帰ります」

「あ、はい。お気をつけて」

雛子が頭を下げると、今度は翔太に向き直る。

「翔太、良い子にしてるのよ」

「わーってるよ、子ども扱いすんなっ」

母親は小さく笑みを浮かべると、パンプスの踵が鳴らないように気を付けながら急いで病室を後にした。

「……母さん、今締切を何本か抱えてるみたいでさ、忙しいらしいんだ」

翔太がリンゴを咀嚼しながら、ポツリとそう口にした。

「そっか……大変だね」

仕事に加え、家事や看病。翔太の妹の世話とあっては休まる暇もないだろう。精神的に余裕がなくなるのも頷ける。

「それは俺が母さんを大変にしてるってことかよ?」

「そ、そんなんじゃないよっ!」

翔太の言葉を、雛子は反射的に否定した。

「ああ、うん、でも……仕事に家庭に病院に、お母さんが大変だなって思ったのは本当。でも、それは絶対翔太くんのせいじゃないよ」

雛子は言葉を選びながら、今度は慎重に思ったことを伝えた。翔太は意外そうに目を見開いたあと、ふと口元を緩めた。

「ていうか、なんでお前みたいな鈍臭い新人が俺の担当なんだよ。恭平さんが決めたのか?」

「う……鈍臭い……そ、そうだよ? 桜井さんが決めたことだから、きっと何か意味があるんだよ……たぶん」

自分でも薄々思っていたことだったが、翔太にまで鈍臭いと気付かれていた事に若干のショックを受ける。

「ふーん……。まぁ恭平さんが決めたことなら間違いないだろうな」

翔太は何故だか少し得意げな顔でそう宣う。

「随分信頼してるんだね、桜井さんのこと」

一方の雛子もまた、プリセプターの恭平が認められて悪い気はしない。

「あったりまえだろ、兄貴みたいなもんだからな恭平さんは」

翔太は照れくさそうに笑った。今までぶっきらぼうな態度ばかりだった翔太を、こんなに素直にさせてしまえる恭平は本当にすごい存在だ。

「翔太君も格好良いもんね? 本物の兄弟みたい」

「なっ……! かっ……!?」

雛子の言葉に、普段は青白い顔をみるみる朱に染める翔太。

「ふふっ、可愛いなぁ翔太君」

「はぁ!? 可愛いはやめろ!」

こんな風に感情豊かな顔もするのか。

(今はまだまだ適わないけど、でも……)

いつか恭平に並ぶ看護師になりたい。

雛子は心の中でひとつ、そう唱えた。












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