白衣とブラックチョコレート

もう、失いたくない

翌々日、ICUから8A病棟に転棟したタイミングで、雛子の事情聴取が行われた。



事情聴取が終わり、部屋を出ていく警察官と入れ違いに恭平が雛子の入院する個室に入室する。

二人が会うのは、あのリカバリールーム以来だった。



「あ……さ、桜井さん……」



ベッドをギャッジアップして座ったまま、雛子はぼんやりと恭平に視線を向けた。

「大丈夫か……?」

「はい……」

とても大丈夫そうには見えなかったのだろう。恭平がおもむろに雛子の身体を抱き締める。その途端、雛子の両目からは大粒の涙が溢れ、シーツに染みを作った。

「す、すみませんっ……なんか、急に泣けてきてっ……」

それが何の涙なのかは、雛子自身にも分からなかった。悲しみややるせなさ、どうしようもない様々な感情が複雑に入り乱れて、涙として溢れ出してくるような感覚だった。

恭平の雛子を抱く腕に力が込められる。

「鷹峯が血塗れでぐったりしているお前を運んできた時、こっちの息が止まるかと思った……俺は、怖かった」

「えっ……?」

恭平の告白に、雛子は思わず息を飲む。

「お前が……雨宮が、俺の前から居なくなるかもしれないと思って、物凄く怖かったんだ」

彼が過去に最愛の女性を亡くした経験があることを雛子は知っている。きっと辛い記憶を思い出させてしまったのだろう。

「リカバリールームのお前は何か元気で、拍子抜けして……鷹峯もいたし、冷静さを保てた。でも、日が経つにつれて……」

恭平の身体が、声が、震えている。

「真っ赤に染ったお前の姿が、鮮明に思い出される……頭から離れないんだ……もし鷹峯がいなかったら助からなかったかもしれない……そう思うと本当に怖かった……お前を失ったら、俺はっ……」

恭平の全身から、恐怖の感情が伝わってくる。こんなに怯えたような話し方をする恭平を、雛子は今までに見たことがない。平素何事にも動じない彼がこんな感情を抱いていることが意外だった。

雛子は恭平の背中にゆっくりと腕を回し抱きしめ返す。傷口が縒れて痛むのは今は無視だ。少しだけ恭平の身体が揺れ、更に腕に力が込められたように感じた。

「大丈夫ですよ……私はちゃんと、生きてます」

そう言って雛子が恭平の胸に顔を埋めると、恭平もまた、雛子の肩に顔を埋めた。


(この温かさと匂い、落ち着く……)


ずっと、こうしていたい。

そう思ったのは恭平か、雛子か、それとも両者ともか────……。











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