白衣とブラックチョコレート
「なぁ、このスニーカーとか良くね?」
翔太は熱を計られる傍ら、スマホでブランド物のスニーカーを検索しては時々雛子にその画面を見せていた。
「あ、良いね。良いと思う」
「お前それしか言わねーじゃん」
にべもなく指摘され、雛子は自身の語彙のなさを嘆く。
「でもさぁもうちょい待つとまた新しいモデルが発表されるんだよなぁ。今ここで買ってもらうように頼んどくか、新モデルの登場を待つか……」
真剣な顔で悩んでいる翔太に、雛子は思わず苦笑する。
「ねぇ、それクリスマスに買ってもらうやつ選んでるんでしょ? さすがに気が早すぎませんか」
雛子の問いに、翔太は大袈裟に溜息を吐く。
「ばぁ〜か。ずっと入院しっぱなしで楽しみなことっつったらそのくらいしかねぇだろ! 入院中に欲しいもんったって限られてるし」
「それはまぁそうかもだけど」
楽しそうにスマホの画面と睨めっこする翔太に、雛子は内心安堵していた。
ここ最近、顔色が優れず寝ている時間も徐々に増えていたからだ。
雛子は、カルテに書かれていた非情な現実に思いを馳せる。
「あ、これもお気に入り登録しとこ」
翔太は入院してからいくつもの治療を試しているが、そのどれもが満足のいく効果を得られていない。
最後の砦として行われている現在の治療すらも、最近の検査結果では効果が現れていなかったのだ。
そのことを翔太と家族はまだ知らない。
「じゃあさ、今日の納涼祭も楽しみにしててよ?」
雛子はバイタル測定を終えるとワゴンに検温セットを乗せる。
「あんなんお子ちゃま向けイベントだろー?」
翔太の減らず口に、雛子は思わず吹き出した。
「そんなの、私からすれば翔太くんだって充分お子ちゃまですー」
「あ!? ちげーしばーか! バカ雛子!」
「はいはーい、馬鹿で結構でーす」
とはいえ、翔太が密かに納涼祭を楽しみにしていたことは知っていた。
そしてそのことを隠して興味がなさそうに装っているということも。
確かにイベント自体は小児科の子どもたちをターゲットにしたものであるが、長期に渡り入院している翔太のような患者達からすれば参加するだけで多少の気分転換になるようだ。
「時間になったらデイルームに来てね。待ってるよー」
「気が向いたら行ってやるよー」
相変わらずスマホに目を向けたまま翔太がヒラヒラと手を振ったのを確認し、雛子は病室を後にした。
「だぁかぁらぁ〜!! 雨宮は今他の患者さんのところに行ってるんすよ!!」
翔太の部屋を出た途端、向かいの個室から悠貴の怒声が聞こえてきた。
「アンタ患者に向かって生意気なのよ! クレーム入れるわよ!?」
続いて、悠貴に負けないくらい張り上げられる女性の声。
「そっちこそ悪質モンスターペイシェントとして出禁にしますよ!!」
「はぁぁっ!? アンタにそんな権限あるわけぇっ!?!?」
「……はぁ〜もぉ〜元気だなぁ……」
そのやり取りに、雛子は思わず深い溜息を漏らした。
(忘れてた……あの人の着替え頼まれてたんだ……)
篠原舞。本日休み明けで出勤した雛子は、昨日の入院患者としてその名前を見た瞬間、一気に憂鬱な気分になったのだった。
恭平のプライマリーだったはずの彼女の担当は、いつの間にか雛子にすげ替えられていた。
そしてもちろん、出勤している場合はプライマリーの雛子が担当することがほとんどだ。猫を被られているスタッフも逆に顎で使われているスタッフも、地雷原のような舞の対応をしたい者などいない。
新人の雛子が体良く押し付けられている格好だ。
何やらまだ言い合いをしている舞の病室に、「そっちは平和だなぁ〜」などとぼやきながらちらりと時間を確認する。
納涼祭準備の前に、一度清拭の準備をしに向かう。タオルを数枚用意すると、今度はタオルが冷めないうちに舞の病室に急いだ。
「遅くなりました」
「遅い!」
意を決して病室に入ると、舞が不機嫌そうな顔で雛子を睨んだ。
「ねぇちょっと! 誰なのこの失礼な看護師は! 恭平と大違いじゃない!」
「そっちこそ患者だからって何言っても許されるわけじゃないんすよ! 言いたい放題言いやがって!」
声を荒らげる舞に、悠貴が負けじと言い返す。
(な、なんか、仲良くなれそうな二人だな……)
言い合いのテンポだけで見れば夫婦漫才に見えなくもない。もちろんそんなことは口に出さず、雛子はオーバーテーブルの上にホットタオルを置く。
「もう着替えたいから出てってくれる? この変態っ!」
「はぁっ!? そっちがナースコール押したんだろっ!」
「アンタを呼んだわけじゃねーのよこの変態がっ!」
「もう、分かったから二人とも落ち着いて! とりあえず悠貴は外出てっ」
いい加減にしてくれ。
雛子はげんなりしながら、ひとまず悠貴を退室させる。
「何なのあいつ! ちょー失礼なんだけど!!」
まだ怒りが治まらない舞は、イライラした様子で乱暴にパジャマを脱ぎ出した。
「すみません。私の同期で、今日は病棟に人手が必要なので手伝いに来てもらってるんです」
舞の機嫌を損ねないよう注意しながら、雛子は同期の非を謝罪する。
「彼が何か失礼なことを言いました?」
廊下まで響いていた口論は聞かなかったことにして尋ねると、舞は使用したタオルを粗雑に投げ置いてふんと鼻を鳴らす。
「あいつ私のカルテを読んだみたいで、何で手術しないのかって聞かれたわ」
どいつもこいつも同じことばっかり、と舞は悪態をつく。恐らく医師も看護師も、関わるスタッフはさっさと手術して舞が病院を卒業してくれることを望んでいるのだろう。
舞はそんな彼らの思惑を見抜いているのだろうか?
そう思うと、多少とはいえ彼女が不憫に思えてくる。
「桜井さん目当てですもんね?」
「そうよ、何か文句ある?」
雛子の確認に、舞はぶすくれてそっぽを向きながら答えた。
「いえ、別にないですケド」
その後も舞の愚痴は止まらず、雛子はそれを話半分に聞きながら黙々と更衣を手伝った。
(このおっぱい星人め……)
心の中で、時々毒づきながら。
翔太は熱を計られる傍ら、スマホでブランド物のスニーカーを検索しては時々雛子にその画面を見せていた。
「あ、良いね。良いと思う」
「お前それしか言わねーじゃん」
にべもなく指摘され、雛子は自身の語彙のなさを嘆く。
「でもさぁもうちょい待つとまた新しいモデルが発表されるんだよなぁ。今ここで買ってもらうように頼んどくか、新モデルの登場を待つか……」
真剣な顔で悩んでいる翔太に、雛子は思わず苦笑する。
「ねぇ、それクリスマスに買ってもらうやつ選んでるんでしょ? さすがに気が早すぎませんか」
雛子の問いに、翔太は大袈裟に溜息を吐く。
「ばぁ〜か。ずっと入院しっぱなしで楽しみなことっつったらそのくらいしかねぇだろ! 入院中に欲しいもんったって限られてるし」
「それはまぁそうかもだけど」
楽しそうにスマホの画面と睨めっこする翔太に、雛子は内心安堵していた。
ここ最近、顔色が優れず寝ている時間も徐々に増えていたからだ。
雛子は、カルテに書かれていた非情な現実に思いを馳せる。
「あ、これもお気に入り登録しとこ」
翔太は入院してからいくつもの治療を試しているが、そのどれもが満足のいく効果を得られていない。
最後の砦として行われている現在の治療すらも、最近の検査結果では効果が現れていなかったのだ。
そのことを翔太と家族はまだ知らない。
「じゃあさ、今日の納涼祭も楽しみにしててよ?」
雛子はバイタル測定を終えるとワゴンに検温セットを乗せる。
「あんなんお子ちゃま向けイベントだろー?」
翔太の減らず口に、雛子は思わず吹き出した。
「そんなの、私からすれば翔太くんだって充分お子ちゃまですー」
「あ!? ちげーしばーか! バカ雛子!」
「はいはーい、馬鹿で結構でーす」
とはいえ、翔太が密かに納涼祭を楽しみにしていたことは知っていた。
そしてそのことを隠して興味がなさそうに装っているということも。
確かにイベント自体は小児科の子どもたちをターゲットにしたものであるが、長期に渡り入院している翔太のような患者達からすれば参加するだけで多少の気分転換になるようだ。
「時間になったらデイルームに来てね。待ってるよー」
「気が向いたら行ってやるよー」
相変わらずスマホに目を向けたまま翔太がヒラヒラと手を振ったのを確認し、雛子は病室を後にした。
「だぁかぁらぁ〜!! 雨宮は今他の患者さんのところに行ってるんすよ!!」
翔太の部屋を出た途端、向かいの個室から悠貴の怒声が聞こえてきた。
「アンタ患者に向かって生意気なのよ! クレーム入れるわよ!?」
続いて、悠貴に負けないくらい張り上げられる女性の声。
「そっちこそ悪質モンスターペイシェントとして出禁にしますよ!!」
「はぁぁっ!? アンタにそんな権限あるわけぇっ!?!?」
「……はぁ〜もぉ〜元気だなぁ……」
そのやり取りに、雛子は思わず深い溜息を漏らした。
(忘れてた……あの人の着替え頼まれてたんだ……)
篠原舞。本日休み明けで出勤した雛子は、昨日の入院患者としてその名前を見た瞬間、一気に憂鬱な気分になったのだった。
恭平のプライマリーだったはずの彼女の担当は、いつの間にか雛子にすげ替えられていた。
そしてもちろん、出勤している場合はプライマリーの雛子が担当することがほとんどだ。猫を被られているスタッフも逆に顎で使われているスタッフも、地雷原のような舞の対応をしたい者などいない。
新人の雛子が体良く押し付けられている格好だ。
何やらまだ言い合いをしている舞の病室に、「そっちは平和だなぁ〜」などとぼやきながらちらりと時間を確認する。
納涼祭準備の前に、一度清拭の準備をしに向かう。タオルを数枚用意すると、今度はタオルが冷めないうちに舞の病室に急いだ。
「遅くなりました」
「遅い!」
意を決して病室に入ると、舞が不機嫌そうな顔で雛子を睨んだ。
「ねぇちょっと! 誰なのこの失礼な看護師は! 恭平と大違いじゃない!」
「そっちこそ患者だからって何言っても許されるわけじゃないんすよ! 言いたい放題言いやがって!」
声を荒らげる舞に、悠貴が負けじと言い返す。
(な、なんか、仲良くなれそうな二人だな……)
言い合いのテンポだけで見れば夫婦漫才に見えなくもない。もちろんそんなことは口に出さず、雛子はオーバーテーブルの上にホットタオルを置く。
「もう着替えたいから出てってくれる? この変態っ!」
「はぁっ!? そっちがナースコール押したんだろっ!」
「アンタを呼んだわけじゃねーのよこの変態がっ!」
「もう、分かったから二人とも落ち着いて! とりあえず悠貴は外出てっ」
いい加減にしてくれ。
雛子はげんなりしながら、ひとまず悠貴を退室させる。
「何なのあいつ! ちょー失礼なんだけど!!」
まだ怒りが治まらない舞は、イライラした様子で乱暴にパジャマを脱ぎ出した。
「すみません。私の同期で、今日は病棟に人手が必要なので手伝いに来てもらってるんです」
舞の機嫌を損ねないよう注意しながら、雛子は同期の非を謝罪する。
「彼が何か失礼なことを言いました?」
廊下まで響いていた口論は聞かなかったことにして尋ねると、舞は使用したタオルを粗雑に投げ置いてふんと鼻を鳴らす。
「あいつ私のカルテを読んだみたいで、何で手術しないのかって聞かれたわ」
どいつもこいつも同じことばっかり、と舞は悪態をつく。恐らく医師も看護師も、関わるスタッフはさっさと手術して舞が病院を卒業してくれることを望んでいるのだろう。
舞はそんな彼らの思惑を見抜いているのだろうか?
そう思うと、多少とはいえ彼女が不憫に思えてくる。
「桜井さん目当てですもんね?」
「そうよ、何か文句ある?」
雛子の確認に、舞はぶすくれてそっぽを向きながら答えた。
「いえ、別にないですケド」
その後も舞の愚痴は止まらず、雛子はそれを話半分に聞きながら黙々と更衣を手伝った。
(このおっぱい星人め……)
心の中で、時々毒づきながら。