白衣とブラックチョコレート
抗がん剤のインターバル期間に入ると、唯の体調も少し回復した。それと共に世話をする真理亜も睡眠時間が増え、重かった身体が楽になった。
しかし疲れと睡眠不足に慣れてしまった身体は、そのことに物足りなさを感じていた。
(なんでだろう……唯が元気になったのに、私……がっかりしてる……?)
理由は分からない。もやもやとした気持ちをうまく言語化出来ないまま、真理亜はいつも通り唯の身の回りの世話をする。
「お姉ちゃん、ごめんね……私のせいで大変な思いさせて……。元気になったら、今度は私がお姉ちゃんのこと助けるからね!」
「……ありがとう」
屈託なく笑う唯に、真理亜も笑顔を作った。その笑顔も、どこかぎこちなく思えて自身の頬に手を当てる。
「私、やっぱり看護師になりたい。入院して余計にそう思ったよ。お姉ちゃんも大学は看護学科に行くんでしょ?」
元々、看護師になりたいと先に言い出したのは唯の方だったことを、真理亜は思い出す。
「……まだ中学生じゃない。進路を決めるのは高校に入ってからでも遅くないわよ」
真理亜の言葉に、唯は首を横に振る。
「ううん、もう決めたの! 本当は高校の看護科に進めたら良かったんだけどなぁ。お姉ちゃんは頭良いからどうせ四大じゃん? 私が高校から五年制出たら、看護師デビューは二人で同じ年だよ!」
今現在退院の目処が立たない唯は、定時制高校への進学が決まっていた。
「私が看護師になったら、お姉ちゃんが熱出した時に看病してあげるよ〜」
「ふふ、ありがとう。でもお気遣いなく」
嬉しそうな唯に、やはり真理亜は曖昧な笑みを浮かべるのが精一杯だった。
その後抗がん剤治療を始めるたび、唯は体調の悪化と回復を繰り返した。
真理亜もまた、唯の体調に生活を左右された。
それは、夏もすっかり終わった頃だった。
「ねぇ聞いて! このまま体調が良ければ一時退院出来そうだって!」
真理亜が病室に入るなり、唯はそう言ってベッドから飛び起きた。
唯をベッドに押し戻しながら、真理亜はパイプ椅子に腰掛ける。
「良かったじゃない。今回の点滴が終わってから?」
唯は大人しく横になり頷く。
「そうなの。でもなぁ、あと少し早ければ恭平の誕生日に間に合ったのになぁ」
その言葉に、真理亜は一瞬だけ動きを止めた。
「……へぇ、いつなの、桜井君の誕生日?」
「退院の三日前」
唯は口を尖らせる。
「あっ、ねぇお姉ちゃん。私の代わりに恭平の誕プレ、買ってきてくれないかなぁ?」
お願い、と真理亜の手を取る唯。元から華奢だったのに、さらに細くなったな……と一瞬話から意識が逸れる。
「良いわよ、商品スマホに送っておいて」
「やったー! ありがとうお姉ちゃん!」
恭平には内緒ね、と一本指を立て、唯ははにかんだように笑った。
「唯の退院、三日後で調整着いたんだな」
あまり感情を出さない恭平が、珍しくほっとしたように笑ったのをよく覚えている。
「まぁ、一時退院だけどね」
「それでも一歩前進だろ」
いつものイートスペースで軽食を取りながら、真理亜は唯の一時退院が確定したことを伝えた。
「唯が元気になれば、清瀬も多少元気になるんじゃねーの?」
そう言って恭平は、テーブルに頬杖をついていた方と反対の手で真理亜の顔を指差す。
「目の下、クマ出来てんぞ」
「なっ……余計なお世話よっ」
真理亜は咄嗟に両手で顔を押さえる。
「……ったく、世話の焼ける姉妹だな」
頬が熱くなった。
「ねぇ、桜井君、今日誕生日なんでしょ」
誤魔化すように、真理亜は話を変えた。
「そ。唯から聞いたんだ?」
「まぁね。おめでとう」
「うす」
恭平は驚いた様子も恥じらう様子もなく、短く返事をして席を立つ。
「じゃあ俺、唯に頼まれたもんちょっと買ってくるわ」
唯が頼んだのは、病院のコンビニには売っていないメーカーのプリンだった。珍しく我儘を言った唯に、恭平は文句を垂れながらもどこか嬉しそうだった。
「行ってらっしゃい。私は病室に戻ってるわ」
そこで二人は分かれ、真理亜は唯の病室に向かう。
病室に入る時、ちょうど点滴を投与しに来た看護師が部屋を出ていくところだった。唯はすやすやと気持ち良さそうに眠っていた。
薬の影響で睫毛まで抜けてしまっているが、それでも可愛らしい顔立ちは変わらない。最近は食事量も増えて顔色もマシになっていた。
「このままいれば、元気に家へ帰れるのね……」
『唯が元気になれば、清瀬も多少元気になるんじゃねーの?』
唯が元気になったら、もう彼の目に私は映らないの?
心の中で、もう一人の真理亜が声を上げた。
もし唯の体調が悪くなれば、また彼は私を見てくれるの?
真理亜は唯に繋がれたCVのルートを辿る。点滴スタンドには二台の輸液ポンプが固定され、それぞれ一定の間隔で点滅しながら今クール最後の抗がん剤を投与している。
真理亜はそっと、唯に頼まれていた恭平への誕生日プレゼントの入った紙袋をオーバーテーブルの上に置いた。
(このポンプの数字を少しだけ変えるくらいなら……)
別の真理亜が、囁く。
(唯がまた体調を崩して、退院出来なくなるわよね?)
看護師が触っているのを見て、やり方は知っている。真理亜は震える手で、輸液ポンプの投与量を変更する。
「少しだけ……少しだけなら……」
しかし疲れと睡眠不足に慣れてしまった身体は、そのことに物足りなさを感じていた。
(なんでだろう……唯が元気になったのに、私……がっかりしてる……?)
理由は分からない。もやもやとした気持ちをうまく言語化出来ないまま、真理亜はいつも通り唯の身の回りの世話をする。
「お姉ちゃん、ごめんね……私のせいで大変な思いさせて……。元気になったら、今度は私がお姉ちゃんのこと助けるからね!」
「……ありがとう」
屈託なく笑う唯に、真理亜も笑顔を作った。その笑顔も、どこかぎこちなく思えて自身の頬に手を当てる。
「私、やっぱり看護師になりたい。入院して余計にそう思ったよ。お姉ちゃんも大学は看護学科に行くんでしょ?」
元々、看護師になりたいと先に言い出したのは唯の方だったことを、真理亜は思い出す。
「……まだ中学生じゃない。進路を決めるのは高校に入ってからでも遅くないわよ」
真理亜の言葉に、唯は首を横に振る。
「ううん、もう決めたの! 本当は高校の看護科に進めたら良かったんだけどなぁ。お姉ちゃんは頭良いからどうせ四大じゃん? 私が高校から五年制出たら、看護師デビューは二人で同じ年だよ!」
今現在退院の目処が立たない唯は、定時制高校への進学が決まっていた。
「私が看護師になったら、お姉ちゃんが熱出した時に看病してあげるよ〜」
「ふふ、ありがとう。でもお気遣いなく」
嬉しそうな唯に、やはり真理亜は曖昧な笑みを浮かべるのが精一杯だった。
その後抗がん剤治療を始めるたび、唯は体調の悪化と回復を繰り返した。
真理亜もまた、唯の体調に生活を左右された。
それは、夏もすっかり終わった頃だった。
「ねぇ聞いて! このまま体調が良ければ一時退院出来そうだって!」
真理亜が病室に入るなり、唯はそう言ってベッドから飛び起きた。
唯をベッドに押し戻しながら、真理亜はパイプ椅子に腰掛ける。
「良かったじゃない。今回の点滴が終わってから?」
唯は大人しく横になり頷く。
「そうなの。でもなぁ、あと少し早ければ恭平の誕生日に間に合ったのになぁ」
その言葉に、真理亜は一瞬だけ動きを止めた。
「……へぇ、いつなの、桜井君の誕生日?」
「退院の三日前」
唯は口を尖らせる。
「あっ、ねぇお姉ちゃん。私の代わりに恭平の誕プレ、買ってきてくれないかなぁ?」
お願い、と真理亜の手を取る唯。元から華奢だったのに、さらに細くなったな……と一瞬話から意識が逸れる。
「良いわよ、商品スマホに送っておいて」
「やったー! ありがとうお姉ちゃん!」
恭平には内緒ね、と一本指を立て、唯ははにかんだように笑った。
「唯の退院、三日後で調整着いたんだな」
あまり感情を出さない恭平が、珍しくほっとしたように笑ったのをよく覚えている。
「まぁ、一時退院だけどね」
「それでも一歩前進だろ」
いつものイートスペースで軽食を取りながら、真理亜は唯の一時退院が確定したことを伝えた。
「唯が元気になれば、清瀬も多少元気になるんじゃねーの?」
そう言って恭平は、テーブルに頬杖をついていた方と反対の手で真理亜の顔を指差す。
「目の下、クマ出来てんぞ」
「なっ……余計なお世話よっ」
真理亜は咄嗟に両手で顔を押さえる。
「……ったく、世話の焼ける姉妹だな」
頬が熱くなった。
「ねぇ、桜井君、今日誕生日なんでしょ」
誤魔化すように、真理亜は話を変えた。
「そ。唯から聞いたんだ?」
「まぁね。おめでとう」
「うす」
恭平は驚いた様子も恥じらう様子もなく、短く返事をして席を立つ。
「じゃあ俺、唯に頼まれたもんちょっと買ってくるわ」
唯が頼んだのは、病院のコンビニには売っていないメーカーのプリンだった。珍しく我儘を言った唯に、恭平は文句を垂れながらもどこか嬉しそうだった。
「行ってらっしゃい。私は病室に戻ってるわ」
そこで二人は分かれ、真理亜は唯の病室に向かう。
病室に入る時、ちょうど点滴を投与しに来た看護師が部屋を出ていくところだった。唯はすやすやと気持ち良さそうに眠っていた。
薬の影響で睫毛まで抜けてしまっているが、それでも可愛らしい顔立ちは変わらない。最近は食事量も増えて顔色もマシになっていた。
「このままいれば、元気に家へ帰れるのね……」
『唯が元気になれば、清瀬も多少元気になるんじゃねーの?』
唯が元気になったら、もう彼の目に私は映らないの?
心の中で、もう一人の真理亜が声を上げた。
もし唯の体調が悪くなれば、また彼は私を見てくれるの?
真理亜は唯に繋がれたCVのルートを辿る。点滴スタンドには二台の輸液ポンプが固定され、それぞれ一定の間隔で点滅しながら今クール最後の抗がん剤を投与している。
真理亜はそっと、唯に頼まれていた恭平への誕生日プレゼントの入った紙袋をオーバーテーブルの上に置いた。
(このポンプの数字を少しだけ変えるくらいなら……)
別の真理亜が、囁く。
(唯がまた体調を崩して、退院出来なくなるわよね?)
看護師が触っているのを見て、やり方は知っている。真理亜は震える手で、輸液ポンプの投与量を変更する。
「少しだけ……少しだけなら……」