白衣とブラックチョコレート
『ねぇ、私のこと抱いてって頼んだら、抱いてくれる……?』
雛子の部屋を出てエレベーターに乗り込みながら思い出すのは、真理亜の部屋に泊まったあの日。彼女は恭平にそう尋ねた。
『……それでお前の気が済むのかよ』
否、済むはずがないだろう。それは真理亜自身も分かっていることだ。
一つ手に入れば、もっとその先を知りたくなる。欲しくなる。
暗に恭平にとって真理亜にそういう気はないと、告げているに等しかった。
『済むわよ……心は手に入らなくても、その時だけは恭平が私のモノになる……それだけで満たされるの……』
真理亜は自分自身に言い聞かせるようにそう言うと、恭平の返事も待たずに唇を重ねた。
『っ……』
唇の隙間から生暖かい舌が差し込まれる。未知の生物のように蠢くそれが、恭平のそれを絡めとる。
『ん……』
舌が絡み合うたび、下半身を中心に全身にじわりと熱が溜まる。それでも恭平は応えることなく、ただされるがままにその口付けを受け入れていた。
『……そんなことして虚しくねぇの』
応えることのない恭平に根負けした真理亜が顔を離したところで、温度のない声音ですかさずそう尋ねた。残念なことに身体は正直なものだが、それはおくびにも出さない。
『あはっ……酷いこと聞くのね』
真理亜は綺麗に笑ってみせながら、自身のブラウスのボタンへと手をかけた。しかしそれでも尚表情一つ動かさない恭平に、彼女はやっと降参とばかりに溜息を吐いたのだった。
『やだ……恭平って女に恥かかせるタイプなのね……』
気まずそうに服を直し、二人の間にあった粘つく空気は消え失せた。
少し勿体なくも思ったが、これで良かったのだと恭平は内心胸を撫で下ろす。
『まぁお前退職するし後腐れないからな。喰っても良かったんだけど。……正直理性が危なかった』
『……だったら何で』
ともすれば最低な言葉を飄々と言ってのける恭平に、真理亜は不満げな瞳を向けた。
『やっぱり、さ。お前のこと大事だもん。そういう対象に見んのはやっぱ何か違うわ』
『……あっそ』
要領を得ない返答に、結局真理亜がそれ以上深く尋ねることはなかった。
『ねぇ、雛子ちゃんのことはどう思ってるの?』
恥をかかされた仕返しとばかりに、真理亜は何の脈絡もなくそう尋ねた。
『どうって……普通に、大事なプリセプティ……』
『本当に?』
『……』
間髪入れず念を押した真理亜に、恭平は押し黙って逡巡するも、やはり答えは変わらない。
『……まぁ、良いわ。じゃあ雛子ちゃんは恭平のことどう思っていると思う?』
『あいつが……?』
それは考えたことも無かった。
『まぁ……嫌われては、ないんじゃねぇの?』
自信があるわけではないが。
『……何で急にそんなこと聞くんだよ』
『……別に?』
思わせぶりに、しかし核心は見せずに真理亜は綺麗に笑ってみせた。
『教えてあげない』
「……あいつどう思ってんだろ」
考えてみれば、いくら嫌われていないとはいえ大の男にベッドで馬乗りになられて顔を近付けられたら誰だって恐怖するはずだ。
現に恭平がしようと思えばあのまま犯すことだって容易かったのだ。
酒が抜けていくにつれ、恭平の中で後悔の念が大きくなる。
「あーやば。やらかしたかも」
プリセプターとして嫌われる以前に、一歩間違えたらあれでは犯罪者だ。通報されたらそれこそ人生が終わる。
『そんなつもりじゃない』は、いくら恭平といえど司法の前には無力だ。
(とりあえず、嫌われてないと良いけど)
ふと心の中で呟いた独り言に、思わず首を捻る。
「……何考えてんだ俺は」
両手で軽く頬を打って頭を振る。雛子の事になると、どうも思考が在らぬ方へ転がってしまう。
そもそも何故、あの夜の真理亜との会話を思い出したのか。
「心配なのは俺よりも真理亜の方なんだよな……」
恭平はふと、真理亜の胸中を慮る。
妹に似た百合を前に、彼女は今何を思っているのだろうか。
「……何もなきゃ良いが」
何となく、胸騒ぎがするのはどうしてだろう。
雛子の部屋を出てエレベーターに乗り込みながら思い出すのは、真理亜の部屋に泊まったあの日。彼女は恭平にそう尋ねた。
『……それでお前の気が済むのかよ』
否、済むはずがないだろう。それは真理亜自身も分かっていることだ。
一つ手に入れば、もっとその先を知りたくなる。欲しくなる。
暗に恭平にとって真理亜にそういう気はないと、告げているに等しかった。
『済むわよ……心は手に入らなくても、その時だけは恭平が私のモノになる……それだけで満たされるの……』
真理亜は自分自身に言い聞かせるようにそう言うと、恭平の返事も待たずに唇を重ねた。
『っ……』
唇の隙間から生暖かい舌が差し込まれる。未知の生物のように蠢くそれが、恭平のそれを絡めとる。
『ん……』
舌が絡み合うたび、下半身を中心に全身にじわりと熱が溜まる。それでも恭平は応えることなく、ただされるがままにその口付けを受け入れていた。
『……そんなことして虚しくねぇの』
応えることのない恭平に根負けした真理亜が顔を離したところで、温度のない声音ですかさずそう尋ねた。残念なことに身体は正直なものだが、それはおくびにも出さない。
『あはっ……酷いこと聞くのね』
真理亜は綺麗に笑ってみせながら、自身のブラウスのボタンへと手をかけた。しかしそれでも尚表情一つ動かさない恭平に、彼女はやっと降参とばかりに溜息を吐いたのだった。
『やだ……恭平って女に恥かかせるタイプなのね……』
気まずそうに服を直し、二人の間にあった粘つく空気は消え失せた。
少し勿体なくも思ったが、これで良かったのだと恭平は内心胸を撫で下ろす。
『まぁお前退職するし後腐れないからな。喰っても良かったんだけど。……正直理性が危なかった』
『……だったら何で』
ともすれば最低な言葉を飄々と言ってのける恭平に、真理亜は不満げな瞳を向けた。
『やっぱり、さ。お前のこと大事だもん。そういう対象に見んのはやっぱ何か違うわ』
『……あっそ』
要領を得ない返答に、結局真理亜がそれ以上深く尋ねることはなかった。
『ねぇ、雛子ちゃんのことはどう思ってるの?』
恥をかかされた仕返しとばかりに、真理亜は何の脈絡もなくそう尋ねた。
『どうって……普通に、大事なプリセプティ……』
『本当に?』
『……』
間髪入れず念を押した真理亜に、恭平は押し黙って逡巡するも、やはり答えは変わらない。
『……まぁ、良いわ。じゃあ雛子ちゃんは恭平のことどう思っていると思う?』
『あいつが……?』
それは考えたことも無かった。
『まぁ……嫌われては、ないんじゃねぇの?』
自信があるわけではないが。
『……何で急にそんなこと聞くんだよ』
『……別に?』
思わせぶりに、しかし核心は見せずに真理亜は綺麗に笑ってみせた。
『教えてあげない』
「……あいつどう思ってんだろ」
考えてみれば、いくら嫌われていないとはいえ大の男にベッドで馬乗りになられて顔を近付けられたら誰だって恐怖するはずだ。
現に恭平がしようと思えばあのまま犯すことだって容易かったのだ。
酒が抜けていくにつれ、恭平の中で後悔の念が大きくなる。
「あーやば。やらかしたかも」
プリセプターとして嫌われる以前に、一歩間違えたらあれでは犯罪者だ。通報されたらそれこそ人生が終わる。
『そんなつもりじゃない』は、いくら恭平といえど司法の前には無力だ。
(とりあえず、嫌われてないと良いけど)
ふと心の中で呟いた独り言に、思わず首を捻る。
「……何考えてんだ俺は」
両手で軽く頬を打って頭を振る。雛子の事になると、どうも思考が在らぬ方へ転がってしまう。
そもそも何故、あの夜の真理亜との会話を思い出したのか。
「心配なのは俺よりも真理亜の方なんだよな……」
恭平はふと、真理亜の胸中を慮る。
妹に似た百合を前に、彼女は今何を思っているのだろうか。
「……何もなきゃ良いが」
何となく、胸騒ぎがするのはどうしてだろう。