白衣とブラックチョコレート

春は遠い

「それにしても、本当に鷹峯先生ってば人騒がせなんですから」

「本当よねぇ。まさかすぐそこの露天風呂で逆上せて気絶してただなんて、灯台もと暗しだわ。……そのまま沈んでても良かったのに」

「医者の不養生ってやつじゃないか?」

夏帆と真理亜が淡々と毒を吐き、恭平も同調する。

「あははー。私も働き過ぎで少し疲れていたのかもしれませんねぇ」

帰りの道すがら、運転席でハンドルを握る鷹峯に対して皆が口々に告げる言葉を、彼は笑いながら適当に聞き流していた。

一方、三列シートの最後部座席に座る約三名は記憶があやふやで、そのうち一名に関しては旅館到着直後から今朝目覚めるまでほぼ全ての記憶が欠落していた。

「俺はあの後どうなったんだっけ……?」

悠貴は目を閉じて昨夜のことを回想する。舞と共に鷹峯の捜索へと乗り出し、最後に大浴場の男湯を確認したあと舞と立ち話をして────。

「うーん、思い出せん……。その後どうしたっけ?」

悠貴は舞を振り仰ぐ。

「……私も記憶が無いのよねぇ。何故か倒れてるアンタを引きずって部屋まで戻ったことは覚えてるんだけど」

舞は窓の外の雪景色を見つめたままそう答えた。その表情は伺い知れない。

「雨宮、お前は?」

今度は反対隣にいた雛子に話を振る。

「私なんて旅館の部屋に着いてから記憶が全然ないんだよ……確か部屋のお風呂に行こうとしてて……んー……」

雛子は諦めたように頭を振って項垂れた。

「ダメ……まるでお酒を飲んで記憶を飛ばしたみたいにさっぱり分からない……せっかくの旅行なのに〜……」

目を閉じて思い出そうと試みるも、まるで写真のように断片的な記憶の一部が過ぎるだけだ。

「なんかすっごいことがあったような……なかったような……」

「あ、俺も。何かすげぇことがあった気がするんだよなぁ……」

雛子の言葉に悠貴も頷いている。ふと見ると、窓の外を見る舞の耳が赤い。

「おい、何赤くなってんだよ。熱でもあるんじゃないか?」

「べ、別に大丈夫よっ!」

慌ててこちらを向いた舞の額に、悠貴が手のひらを翳す。

「やっぱり。少し熱いだろ」

「えっ、大丈夫ですか?」

心配する悠貴と雛子に、舞はふんと鼻を鳴らす。

「いつものことよ。東京戻ったら受診するわ」

舞の言い分に、悠貴は呆れ顔で当てていた手でデコピンをする。

「ったくお前なぁ、言えよ! だから!」

「いっだぁ……! っさいわねぇ! 大声出さないでよ病人に向かって!」

雛子はキョトンとして、ぎゃあぎゃあと喧嘩を始めた二人を見つめる。

「この二人っていつの間にこんなに仲良くなったんだろ?」

雛子の独り言も気に留めず、二人の攻防は続く。

「もうさっさと手術しろよっ!」

「だからうるさいってば! 言われなくてもするわよっ!」

「えっ……!?」

舞の一言に車内が一斉にざわつく。中列の二人も驚いて振り返っている。

「な、なによ、皆して……。もうすることにしたの。いちいち休むのも面倒くさいし!」

威勢のいい舞の言葉に、雛子は心底安心したような笑みを浮かべる。

「そうなんですねぇ。良かったぁ」

喜ぶ雛子を、舞は半眼で睨む。

「あんた、私が来なくなると思って喜んでるでしょ」

「い、いえ! そんなことはっ!」

矛先は悠貴にも向かう。

「そもそもね! 私が手術受けることになったのはあんたのせいなんだからねっ!?」

「あぁっ!? どういうことだそりゃっ!?」

「あんたが受けろって言ったんでしょ!? 責任取るって! まさかそれも忘れたわけぇ!?」

先程とは一転、車内は水を打ったように静まり返る。

「んぁ? そんなこと言ってな……いや、言った……、か……言ったのか……?」

言ってない、と言おうとするも、記憶を掘り下げてみると確かに言ったような気もする。思い出して顔を赤くする悠貴に、真理亜と夏帆は揃って口を押さえて顔を見合せた。

「え、え、責任取るって、もしかしてそういうこと? そうなの入山!?」

「嫌だわあなた達……いつの間にそんな関係に?」

「え、まさか悠貴と篠原さんが……お、おめでとうございます??」

後ろ二列の五人が盛り上がりを見せる中、運転席の鷹峯と助手席の恭平は声を潜めて何やら会話をしていた。

「若女将に嵌められて我々の中からも二組のカップルが成立ですかぁ。いやーめでたいですねぇ」

ご機嫌な鷹峯の言葉に、恭平は不可解そうに眉を顰める。

「二組って……何言ってんだ。あの二人だけだろ?」

「はぁ?」

恭平の戯言に、鷹峯は思わず心からの疑問符を返す。

「あの……馬鹿ですか、貴方。雨宮さんに告白されて、挙句の果てにイクほど濃厚なキスしちゃってたじゃないですか?」

「イクほどって、お前なぁっ……」

ちらりと後ろを振り返り、声のトーンを落とすよう暗に抗議する。

「いやぁ〜彼女、傍から見てても凄かったですよぉ。キスだけでなんてどんなAVかと思いましたけど、浴衣のはだけ方とかもまた色っぽくてあれはあれで需要が」

「か、解説するな……頼むから……」

顔を両手で多い膝の間まで深く埋める恭平。催眠の効果とはいえ手を出した後ろめたさも感じているのだろう。

「あ、思わずスマホで撮影しちゃったんですけど見ます?」

「はあっ? 消せっ、今すぐっ!」

珍しく焦りの色を見せる恭平に気を良くして、鷹峯はお決まりのニンマリとした笑みを作る。

「あんなに仲良しだった貴方達がカップルじゃないなんて、納得いかないんですがねぇ」

前方を見つめたままそう告げる鷹峯に、恭平は決まり悪そうに舌打ちをした。

「……あいつ、何も覚えてないだろ。告白したことも、キスしたことも、過去のことをカミングアウトしたことも……」

恭平は鷹峯をじとりと睨んだ。

「っていうかお前、前にアウティングは美学に反するとか言ってなかったか? 思いっきりアウティングしてたじゃねーか」

そう言うと、鷹峯にしては珍しく素直に「すみません」と謝罪の言葉が返ってきた。

「催眠は思っている以上に脳への影響が大きいものなんですよ。素人の、しかもノウハウもない子どもがかけたとなればそのままにしておく訳にはいきませんでした。今の雨宮さんの精神的にも肉体的にも、まだ治療なしで元気に生きていかれるレベルではない。早急に思い出させて催眠を解く必要があったんです」

車窓はいつの間にか雪原から街中へと変わっていた。

「とにかく、そんな状況でカップルって言えるかよ」

窓のフレームに頬杖を突き、恭平は外を眺める。横断歩道を、若い男女が腕を組みながら歩いていった。

「でもまぁ、彼女の気持ちはこれではっきりしたわけですし。今度は貴方から伝えれば良い話でしょう?」

名案とばかりに言って退ける鷹峯に、恭平は不思議そうな顔をする。

「伝えるも何も……俺は別に、あいつのことは可愛いプリセプティとしか思ってないからなぁ」

「……はい?」

先程とは別の男女を見遣りながら、恭平は当然のごとく宣う。

「いや、あいつもきっと、師弟関係を勘違いしているだけだと思うんだ。男経験なさそうだしな。温泉の……あの変な効能のせいで可笑しくなってただけだろ」

一人で納得する恭平に、鷹峯は乾いた笑いを浮かべる。

(ただの可愛いプリセプティなら、御曹司とのデートに嫉妬したり、キスなんかしないと思うんですけどねぇ……)

春はまだ遠い、か。

雪のちらつく街中を運転しながら、鷹峯は心の中で独りごちた。















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