「槙野だったら、何味にする?」
電気を消して暗くなった部屋が自分の部屋じゃないみたいに感じた。いつもは全然気にも留めていない時計の秒針の音が、今日はやけに大きく聴こえる。リビングに置いている時計とまったく同じ物。選ぶのが面倒で、同じにした。

「槙野。」

寝付きのいいヤヨちゃんのことだから、あれから二十分くらいは経ってるし、とっくに寝たと思っていたからびっくりした。

「ん?どうしたの。寝苦しい?」

「ううん。ちょっと気分が上がってるのかな。寝付けなくて。」

「そっか。僕も。」

もしかしたらヤヨちゃんも、日常とは違う何かを感じてくれているのかもって思うとうれしかった。

ベッドの上でヤヨちゃんが起き上がる音がした。僕も上半身を起こしてブランケットを膝にかけたまま座った。

「ヤヨちゃん?」

ヤヨちゃんが僕をジッと見る。電気を消していて暗いけれど、真っ暗闇というわけではない。目が慣れてきているから、多少の表情は分かる。

「槙野、キスしたことある?」

え、と思って、思ったまま声に出せない。ヤヨちゃんは僕をジッと見たままだ。たぶん、無表情で。それからもう一度、ヤヨちゃんはさっきよりもゆっくりとした口調で言った。

「槙野は、キス、したことある?」

「キス?」

僕の声はちょっと震えている。自分でも分かる。

「そう。キス。」

「なんで?」

「なんででも。」

まるで裁判をされているような気持ちだ。どう答えても有罪判決を言い渡してきそうな雰囲気。想像もしていなかった質問に僕はひどく緊張している。でも、ヤヨちゃんは動かないままずっと僕を見たままだ。

「ないわけじゃ、ない。」

部屋が暗いから普段よりは気にならないけれど、目が合っていることはなんだか気まずくて、僕は下を向いて言った。

「ないわけじゃないって、あるってこと?」

ヤヨちゃんは追求してくる。

「十六歳だもん。」

僕は妙な言い訳をする。

「私はもう十七歳だよ。でも、したことない。」

僕はパッと顔を上げてヤヨちゃんを見た。今度はヤヨちゃんが下を向いている。僕だって本当はちょっと気になっていた。中学生の頃のヤヨちゃんを、僕は知らない。でも過去の話なんて聞きにくいし、恋愛のことなんて尚更。でも、ヤヨちゃんがキスをしたことないって知れてうれしいと思ってしまった。
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